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【社会】

<憲法を見つめて 住民投票の教訓>(中)吉野川可動堰 清流 民意で守った

第十堰の前で「ここには自然との共生の知恵がある」と語る村上稔=徳島県石井町で

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 四国中央部を東へ流れる吉野川の河口から上流へ約十四キロ。JR徳島駅から車で二十分ほど走ると、約二百五十年前の江戸時代に建造された石積みの「第十堰(だいじゅうのせき)」が姿を現す。この堰は旧吉野川への分水や、海水の逆流を遮断する潮どめの役割を果たしてきた。表面の大半は戦後の補修工事でコンクリートに覆われてしまったが、一部には往時をしのばせる青石が残る。

 「流れは堰で濾過(ろか)され、水底まで透き通っている。住民投票を経たからこそ、第十堰の価値が分かった。動かしがたい民意のモニュメントだ」。元徳島市議の村上稔(51)が河川敷で晴れやかな表情を浮かべた。

 二〇〇〇年一月、吉野川の可動堰建設計画の賛否を問う徳島市の住民投票が実施された。国レベルの大型公共事業に対する初の住民の審判として注目され、反対票が九割を超えた。

 第十堰を取り壊し、約一キロ下流に可動堰を建設する計画を旧建設省が打ち出したのは一九九八年。東京から古里徳島にUターンしていた村上は、後に住民運動のリーダーとして全国的に名をはせる故・姫野雅義との出会いをきっかけに、可動堰反対へと突き進む。

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 旧建設省は洪水の危険性などを建設の根拠に挙げたが、村上らはことごとく論破した。徳島市の有権者の半数の署名とともに住民投票条例の制定を請求したものの、議会は条例案を否決。建設反対派は選挙で議席を獲得し、議会構成を逆転。住民投票に持ち込んだ。

 村上は「可動堰が完成していれば、吉野川は巨大なコンクリートの壁でせき止められ、ヘドロの川に変わっていた。リーダーは姫野だったが、みんなが主体的に動いた」と胸を張る。

 村上は一三年、「希望を捨てない市民政治 吉野川可動堰を止めた市民戦略」を出版した。東日本大震災と福島原発事故で明るい未来を奪われ、日々の希望を維持しかねている人たちに「政治とは、変えられない絶望的な現実ではなく、現実を変えるための道具であること」を伝えたかったからだ。

 安倍政権が九条改憲への動きをみせる中、村上の頭に浮かぶのが姫野だ。「姫野は他の運動を応援してくれと言われても冷たかったが、憲法改正の国民投票には関心があった。護憲派が憲法を守りたければ打って出るべきだ、と思っていたはずだ」

 村上自身、非暴力という九条の理念は素晴らしいが、自衛隊の存在と整合性がとれるのかは疑問に思う。「専守防衛の自衛隊」を条文で明確に位置付けることも選択肢だと考える。

 「住民を信じるのが住民投票の思想。国民投票も一緒だ。国民投票で憲法を選び直せば、平和主義はもっとキラキラと輝くはずだ。自分たちで守った吉野川の風景を眺めるたびに、私たちが元気をもらっているように」 =敬称略

 (佐藤圭)

 

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