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【社会】

鈴木秋雄さん死去 三社祭 102歳で神輿担ぐ

102歳で本社神輿を担ぐ鈴木秋雄さん=5月20日、東京都台東区で

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 三日間で約二百万人を集める東京・浅草神社の三社祭の健全化と盛り上げに尽力した氏子団体「浅草神社奉賛会」会長の鈴木秋雄(すずきあきお)さんが四日午後十一時二十三分、肺炎のため死去した。百二歳。千葉県馬来田(まくた)村(現木更津市)出身。

 通夜は八日午後六時半から、葬儀・告別式は九日午前十時半から、東京都台東区西浅草一の五の五、東本願寺慈光殿で。喪主は次男紀雄(のりお)さん、三男良三(りょうぞう)さん。

 十代のとき、後に婿養子に入る浅草の材木店で働き始めた。戦後、パプアニューギニアから復員。地元の町会長を長く務め、二〇〇四年から浅草神社奉賛会の会長に。〇八年、祭りの過熱で神輿(みこし)の上に乗る担ぎ手が続出。秩序の乱れが問題になり、神輿を神社から出す「宮出し」を中止した。翌年、神輿乗り禁止のルールを厳格化し復活させた。戦争で中断していた三社祭が復活した一九五〇年から、百二歳となった今年まで神輿を担ぎ続けた。

◆「祭りは人生そのもの」

<評伝> 百歳を超えてなお、神輿を担ぐ姿は下町の粋そのものだった。四日死去した氏子団体「浅草神社奉賛会」会長の鈴木秋雄さん。三社祭を、外国人観光客が多数訪れる日本を代表する祭典へと発展させた。

 五月二十日の三社祭最終日、本社神輿の「二之宮」を担いだのが最後の晴れ舞台。「祭りは人生そのもの」「担げなかったら引退」と常々話していた。三社祭が近づくと毎年、足を後ろに蹴り上げるトレーニングで本番に備えた。今年も町会の人たちに促され、鉢巻き姿で神輿の担ぎ棒の先頭に。「この上ない喜び」と満足そうな姿。気高さを感じ、涙ぐむ人もいた。

 戦後、三社祭は復活したが参加者は少なく、神輿をずっと担いだ。千葉県生まれで「生粋の浅草っ子じゃないからこそ人一倍、神社に奉仕を」と心に刻んだ。

 担ぎ手が神輿に乗る事態が相次ぎ、〇六年には人の重みで担ぎ棒が折れる事故が発生した。一度頭を冷やそうと〇八年、本社神輿の宮出しを中止。「続けていく人たちのため、苦渋の決断だった」と振り返った。

 祭りは健全化に向かい、一二年の七百年祭では、隅田川を三基の本社神輿が進む「舟渡御」を五十四年ぶりに行った。今年三月には、三社祭の三神の名を刻んだ「三柱(みはしら)の石碑」が浅草神社境内に建立された。「浅草千四百年の歴史に思いを」とお披露目の式典で呼び掛けた言葉は、浅草愛、三社愛に満ちていた。 (井上幸一)

 

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