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【社会】

森鴎外から虚子へ選句の礼 書簡に「ビール少々差上候」濃密交流

森鴎外が高浜虚子に宛てた1906年2月22日付の書簡(虚子記念文学館蔵)

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 文豪の森鴎外(一八六二〜一九二二年)が、詩歌集「うた日記」に収める俳句を選んだ俳人の高浜虚子(一八七四〜一九五九年)に謝意を伝える、全集未収録の書簡の存在が初めて確認された。明治期の文人同士の濃密な交流がうかがえる貴重な資料だ。

 虚子記念文学館(兵庫県芦屋市)の所蔵品だった書簡を、東京・文京区立森鴎外記念館が分析し、一九〇六(明治三十九)年二月二十二日の書簡と特定した。鴎外の要望に応えて、虚子が詩歌集の完成の手助けをしていたことが分かる。森鴎外記念館で六日から開催される秋の特別展「鴎外の『うた日記』」で初公開される。

 〇七年九月刊行の「うた日記」は、軍医として日露戦争に従軍した鴎外が戦地で作った詩や短歌、俳句などをまとめたもの。森鴎外記念館は「終戦からどんなやりとりを経て刊行に至ったのか分からない点も多く、その隙間を埋める資料で、今後の研究のためにも価値がある」としている。

 書簡は毛筆で「先日ハ御面倒な願恐入候米齋君の画未た成らすあれハあの侭(まま)になり居候」などと書かれている。「米齋君」は「うた日記」の挿絵画家久保田米斎(べいさい)。絵が完成せず、刊行準備が進まないことを釈明している。記念館は、鴎外の長男於菟(おと)の著作などから、書かれた年を確定させた。

 鴎外は〇六年一月に虚子を家に招き、戦地で作った俳句から「うた日記」に載せる作品を選んでもらった。書簡には、自分から礼を言うべきところを虚子から手紙が届き「あへこへに御挨拶下され少々あわてたる気味に候」などと書かれ、「ビール少々差上候」と感謝の意を伝えて結んでいた。

 書簡は虚子記念文学館が高浜家の資料として所蔵していたが、調査は手つかずのままだった。昨年、鴎外記念館で企画展が開かれた際、別の資料を貸し出した虚子記念文学館側が、この書簡の存在を伝えたことで、本格的な分析が実現した。

(左)森鴎外(右)高浜虚子

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