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【社会】

駿府城跡に秀吉の天守台 築城裏付け 家康落成の城の下

秀吉が命じて築城させたことが分かった駿府城の天守台跡

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 静岡市は16日、徳川家康が晩年を過ごし、「大御所政治」の舞台となった駿府(すんぷ)城の跡地(静岡市葵区)から、豊臣秀吉が築かせた天守台が見つかったと発表した。「家忠日記」や「太閤軍記」には秀吉が家康を関東へ国替えさせた後、家臣の中村一氏(かずうじ)を1590年に入城させた記録が残るが、築城が裏付けられたのは初めて。 (瀬田貴嗣、広田和也)

 発見された天守台は南北三十七メートル、東西三十三メートル。家康が一六一〇年に落成し、既に存在が確認されている天守台とは一部が重なっている。天然の石をそのまま積み上げた「野面積み」と呼ばれる戦国時代特有の手法が採用されている。

 天守台の周辺からは、天守閣を荘厳に映えさせたとみられる金箔(きんぱく)付きの瓦が三百三十点見つかった。当時、金箔の瓦は権力者にしか許されなかったことや、瓦の装飾が戦国時代の特徴を示していることから、秀吉が命じて築かせた駿府城の瓦に間違いないという。

駿府城の発掘現場から出土した金箔瓦=16日、静岡市葵区で

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 市は二〇一六年から駿府城跡地を発掘調査。一七年には、家康が築いた駿府城の天守台とは異なる位置から石垣の一部が見つかっていた。一八年五月から本格的に調査を進め、秀吉が築かせた天守台と断定した。

 天守台は二十、二十一日に臨時公開する。十一月二十二日から金箔瓦も合わせて一般公開する。いずれも予約不要、入場無料。

<中井均・滋賀県立大教授(考古学)> 関東に移された徳川に対して、金箔瓦に飾られた天守の造営は豊臣政権の威光を示すシンボルだったと考えられる。徳川だけでなく、豊臣政権にとっても重要な城であったことがこの天守台の検出で明らかになった。

<小和田哲男・静岡大名誉教授(戦国時代史)> 中村一氏時代の駿府城について書かれたものはなく、幻の城とされていたので、今回の調査の意義は大きい。大御所時代の家康の城の下に、豊臣政権下の駿府城があったことが分かっただけで大発見である。

 

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