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【社会】

<にっぽんルポ>東京・渋谷 起業の芽を育むビル

若き起業家たちが事務所を構える「Good Morning Building」の屋上で、「社会を変えるサービスをしたい」と話す19歳の谷口怜央さん。自分の持ち物はかばん一つ。2年前に名古屋から上京し、起業した時と変わらぬままだ=東京都渋谷区で

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 服はこの一着しか持たないという。「気が散らない色」と選んだ黒い無地のハイネック。昨年起業し、一日単位で仕事が探せる「デイワークアプリ ワクラク」を運営する谷口怜央(れお)さん(19)は「今は仕事しか興味が無い」と澄んだ瞳で語る。高校を休学し、名古屋市から上京して二年。若い起業家が集まる東京・渋谷に拠点を構えて一年がたつ。

 渋谷駅から徒歩十分の路地にある「Good Morning Building(GMB)」。「スタートアップ」と呼ばれる、社会を変えようとする革新的なサービスで急成長する会社が「始まりの朝を迎える場」として誕生したビルだ。二階の一部屋の共同オフィスに谷口さんの会社「Wakrak(ワクラク、旧Spacelook)」も入居する。

 「ワクワク働く」意のワクラクは、不定期に人手が欲しい組織と、稼ぎたいタイミングで働きたい人の需給を満たすアプリだ。面接もなく応募の翌日にも仕事ができる。「働き方を変え、社会に人と人がコミュニケーションを取る余裕を生みたい」。目指すのは、働き手が一つの組織のみに勤める従来のモデルではなく、時間と気持ちのゆとりを生む、流動性ある人材のプラットフォームの構築だ。

 昨年六月に起業したものの、アプリ開発の委託先に支払う資金調達のめどがなく、いきなり困窮した。その時出資してくれたのが、スタートアップ企業を金銭面で支える投資ファンド「ANRI」。運営するANRIも拠点を置くこのビルには今、同じように試行錯誤しながら夢を追う同志が集っている。

社員7人、アルバイト10人の企業に成長した「Hotspring」のオフィス。創業メンバーの野倉祐介さん(手前)と、同社を支援する投資ファンド「ANRI」の中路隼輔さん(左奥)=東京都渋谷区のGood Morning Buildingで

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◆国内外の現場、目に

 困っている人がいても、見て見ぬふりで素通りする。谷口怜央さんがそんな社会に疑問を抱いたのは、中学二年の時だ。野球部の練習中に腰を痛め、精神的な要因もあり一年間、歩けなくなった。車いすで街に出ても手助けが欲しい時、振り向いてもらえなかった。

 「社会問題を解決したい」。リハビリで回復後、思い立ったのはアフリカの貧困。現場を知ろうと高校一年の夏休み、インターネットで探した日本人のつてで、セネガルに一カ月ホームステイした。そのまま滞在したかったが、家族に反対され帰国。次に身近なところに目を向け、自宅近くの名古屋・栄の繁華街でホームレスに声を掛け始めた。たわいない世間話で二百人と友人に。他の人がホームレスに話し掛けないのは、「周りの相手とコミュニケーションを取る余裕がないから」と感じた。

 高校二年の夏休みにヒッチハイクで国内を旅し、知り合った東京のITベンチャーでインターン後、起業。今は社員八人に増えた。アプリの登録者は一万五千人だが、提供する仕事はまだ月三千件。来年五月までの今期で十一万人分のマッチングが目標だ。「サービスは手段。やりたいのは世界を変えること」。1%の人でも働き方を変えてくれたら、できると信じる。

 若き起業家の拠点となっているGood Morning Building(GMB)は二〇一六年十一月、「場の発明カンパニー」と称するツクルバ(目黒区)が都内の不動産会社とともに築四十四年の六階建てビルをリノベーションして生まれた。白を基調とした明るいデザインで、中の扉や配管の色は、階を上がるごとに赤からオレンジ、黄色と変わり、六階は水色に。設計したツクルバ社員の一級建築士松山敏久さん(35)は、「だんだん朝日が昇っていく空の色を表した」と語る。

 急成長するスタートアップ企業は社員数が増えるにつれ広い部屋を求めるが、数カ月で契約し直すのは敷金や礼金もかさむ。「成長に合わせた場の提供を」とできたのがGMBだ。谷口さんの会社など約十五社が使う二、三階の共有オフィスはベンチャーキャピタルの「ANRI」が無償で提供し、若い起業家の挑戦を支える。個室も敷金や礼金はない。

渋谷駅から徒歩10分の場所で、雑居ビルが並ぶ一角にある「Good Morning Building」

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◆旅好き3人の挑戦

 五階の個室に入居する「Hotspring」は、LINEで旅行の相談や予約ができるサービス「ズボラ旅」を運営する。昨年五月の創業当初は台東区にあったが手狭になり、知り合いの起業家もいるGMBに今年七月に移った。

 別の会社で一緒にウェブサービスに関わった旅好きの三人が、新たな挑戦をしようと創業した会社。「世の中にちょっと楽しいことを提供したいと起業した。僕らが得意とするインターネットのサービスで、ユーザーの暮らしを少しでも良くしたい」。創業メンバーの一人、野倉祐介さん(33)はそう語る。

 今年五月のオープン初日、予想をはるかに超える数千件の依頼が殺到し、サービスはパンク状態に。LINEのやりとりは「一人一人に寄り添おう」と個別にスタッフが返信している。一息つきたい時、人工芝に椅子とテーブルを置いた屋上や、一階の共有ラウンジは、一つ屋根の下の同志から刺激も受ける交流の場。「ここではいろんなものをもらっている。仮にここを卒業しても、つながりのあるメンバーにはもらったものを返していきたい」

「夢見るビル」から巣立ち、広いオフィスに移った「Spice」の徳泉成夏さん(右)。「大きな会社でその文化に従うより、自分の頭で考えて挑戦したい」と就職活動はせず、起業の道を選んだ=東京都品川区で

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◆物語が始まる場に

 GMBで成長した企業はやがて、夜明けの空を飛び立っていく。家庭の不用品をインターネットサイトで販売する出品代行サービス「トリクル」を手掛けるSpice(品川区)もその一つ。一四年に徳泉成夏さん(25)が渋谷で創業し昨年四月、二階に共有オフィスができると同時に入居した。

 谷口さんら続々とやって来る同志と励まし合う日々。思い描く理想と、うまくいく保証はない現実とのギャップには、創業間もない多くの起業家が直面する。法政大在籍中に起業した徳泉さんは、「クラスメートみたいな感じで、精神的にもつらい時に『そっちはどう?』と相談し合えた」とGMBでの日々を振り返る。

 起業後三年はいくつかのサービスを立ち上げては試し、「物が捨てられない」と悩む人へのサービスを考えたのは昨年末。GMBに入居後、社員が増えた二月に四階の個室に移った。五月にサービスを始めると集荷依頼が殺到し、一階の共有ラウンジにも荷物があふれた。倉庫兼オフィスとして七月、品川区のTOC(東京卸売りセンター)ビルに移転した。

 今も依頼はパンク気味。人手が欲しい時は、谷口さんの「ワクラク」で求人を出す。服や本、ゲーム機、ぬいぐるみ。「これは売れないかな」と思う物も、「汚れていてもその人なりの思い出があるから捨てられないはず。新しい、より良い物を買う機会を生む一助になれば」と引き受ける。

 GMBを管理するANRIの中路隼輔さん(27)も投資家として歩み始めたばかり。「年配で起業する人もいるけれど、やっぱり若者を応援したい」。投資するかの決め手は、「その人が諦めないかどうかが大きい」と言う。すぐにうまくいかなくてもいい。自分はできる、と信じ切れるか。そしてこのビルが、「『昔はここにみんないたんだよ』と言えるような場所になったらうれしい」。あの企業の物語はここで始まったのだ、と。 (文・神谷円香/写真・岩本旭人、嶋邦夫、神谷円香)

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