東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 10月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

豊洲移転 都内鮮魚店の決断 築地と半世紀 店主も引退

営業最終日に花束を手に記念撮影をする目崎竹二郎さん(右から2人目)ら=6日、東京都世田谷区で(大杉豪さん提供)

写真

 築地市場(東京都中央区)が閉場した今月六日、都内の商店街で長年親しまれてきた二つの鮮魚店が相次いで閉店した。築地から豊洲市場(江東区)への移転がきっかけだ。「お客さんへの感謝しかない」と老店主。八十三年の歴史を刻んだ「日本の台所」の終焉(しゅうえん)は、東京の景色と庶民の食卓に影響を与えている。 (加藤健太)

 六日夕、世田谷区の松陰神社通り商店街にある「魚竹(うおたけ)」には常連客たちが集まっていた。ねぎらいの花束を贈られた店主の目崎(めさき)竹二郎さん(82)は「半世紀もの間、お世話になりました」と感謝の言葉を何度も口にした。

 十年前から通う近所のパート海野吉恵(うんのきちえ)さん(71)は「イワシの酢漬けなどいつもお勧めの調理法を教えてくれた」と振り返る。近くでフランス料理店を営む大杉豪(たけし)さん(41)は「通う度に親密になっていく距離感が好きだった」と惜しんだ。

 目崎さんは毎朝、築地に買い付けに訪れ、魚は配送業者に店まで運んでもらっていた。豊洲移転で心配したのは、周辺道路の渋滞などに伴う配送の大幅な遅れだ。仲卸業者や配送業者の話を聞き、午前十時半に着いていた配送トラックが正午前になると目崎さんは予測。「午前中に来てくれるお得意さんもいる。これじゃ商売にならない」と店じまいを決めた。

 下積み時代、仲卸業者の帳場で働いていた妻テツ子さん(76)と築地で出会った。二人で店を立ち上げてから五十年間、新鮮さと手頃な値段にこだわった魚を地域の食卓に届けてきた。「これからは第二の人生を楽しみたい」と気丈に振る舞うが、最後まで「気が変わらないか」と引き留めてくれた常連客の姿を思い浮かべると目がうるむ。

 百四十店が並ぶ商店街で鮮魚だけを扱う店は、魚竹しかなくなっていた。商店街振興組合の佐藤勝副理事長(65)は「肉、野菜、魚の生鮮三品は商店街に不可欠。集客に影響しそうだ」と心配する。

築地市場閉場を機に営業を終えた鮮魚店「魚きよ」=16日、東京都目黒区で

写真

 一方、東急目黒線西小山駅近くの「魚きよ」(目黒区)も六日、約三十年間の営業を終えた。店主の芦田清さん(75)は「頼りにしていた旧知の仲卸業者たちが豊洲に移らないというので」と理由を明かす。

 築地に仕入れに行くと、五十年来の付き合いになる仲卸業者は、椅子を出してくれた。ひっくり返した空き箱に座布団を載せただけのものだったが、信頼の証しだった。魚の好みも分かっているから良いネタが入ると、「とっておくよ」と電話をくれた。

 閉店を知った常連客からは連日のように花束や果物が届き、地域に愛されていたことを実感した。築地閉場とともに店を畳むのは「結果的に残念」ととらえているが、芦田さんに未練はない。「皆さんのおかげで続けてこられた。感謝しかないです」

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報