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【社会】

近藤勇、ドタバタ上洛だった? 岐阜・各務原市所蔵文書で判明

浪士組が鵜沼宿を訪れた際のいきさつが記録されている「桜井家文書」=岐阜県の各務原市中央図書館で

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 幕末の京都を警護した新選組の前身「浪士組」が、江戸から上洛(じょうらく)する際、中山道鵜沼(うぬま)宿(岐阜県各務原市)で昼食代を少なく支払っていたことが分かった。市が所蔵する当時の文書に関連する記載があった。昼食の手配を担当していたのは、多摩出身で後の新選組局長・近藤勇(一八三四〜六八年)。歴史的人物の失態のエピソードとして注目を集めそうだ。 (大山弘)

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 各務原市歴史民俗資料館の長谷健生学芸員が、鵜沼宿本陣の当主が残した「桜井家文書」から浪士組に関連した記述を確認した。

 江戸時代、団体客が宿場を訪れる際の予約や支払いは、本陣が一括して受け付けていた。桜井家文書には予約時の総人数と、宿場の各旅籠(はたご)に入る人数を記した割り振り、浪士組が去った後の会計報告が記されている。

 六三(文久三)年、京を目指した浪士組が、中山道五十二番目の宿の鵜沼宿に到着したのは二月十九日。浪士二百三十七人が数軒の旅籠に分かれて昼食を取った。ところが、浪士組は支払いの際、人数を二百二十五人と十二人も少なく申告した。

 料理の本来の代金は一人あたり百二十四文。だが、本陣は浪士組が利用した全ての旅籠に対し、一人あたり六文少ない百十八文を配分した。取りはぐれた十二人の代金の合計千四百八十八文を、全旅籠で少しずつ負担したとみられる。

近藤勇=国立国会図書館蔵

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 百二十四文の価値について、長谷さんは「江戸時代後期は一文が現在の二十〜三十円に相当すると言われるが、幕末は貨幣価値の変動が大きく、一概には言えない」と話す。

 宿場内でのやりとりは不明だが、長谷さんは「近藤は本庄宿(埼玉県本庄市)でも、浪士の芹沢鴨(かも)の宿の予約を忘れ、激高した芹沢が路上でかがり火をたく騒動を引き起こすなど失態を犯していた。鵜沼宿でも、近藤が不手際をした可能性がある」とみる。

 浪士組は結成後、すぐに江戸を出発した。大名の参勤交代など大規模な旅行の際は、旅籠の予約を半年〜一年前に済ませるのが通例だった。長谷さんは「近藤は先行きも分からず、混乱していたのかもしれない」とも推測している。

 鵜沼宿の歴史を研究する岐阜女子大の辻公子講師は「桜井家文書では、具体的なやりとりが分からないながらも、当時の慌ただしさを感じる要素が多い。他の宿場町にも、浪士組について多くの記録が残っている。詳しく調べれば、歴史の出来事を、これまでとは違う視点から再確認できるだろう」と指摘する。

 桜井家文書の浪士組について書かれた部分は、十七日〜十二月十六日に各務原市歴史民俗資料館で開く企画展で紹介される。

<浪士組> 江戸幕府第14代将軍・徳川家茂(いえもち)の上洛に合わせ、幕府が将軍警護のために浪士らを集めて結成した武力組織。文久3(1863)年、東海道を上る将軍とは別ルートの中山道から京に向かった。京に入ってから組織は分裂し、芹沢鴨や近藤勇、土方歳三らが壬生(みぶ)浪士組を結成。後に新選組を名乗る。

 

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