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【社会】

赤木春恵さん死去 「渡鬼」しゅうとめ役 94歳

インタビューに答える赤木春恵さん=1999年6月

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 「渡る世間は鬼ばかり」のしゅうとめ役などで親しまれた俳優の赤木春恵(あかぎはるえ)(本名小田章子(おだあやこ))さんが二十九日、心不全のため死去した。九十四歳。旧満州(中国東北部)生まれ。通夜は十二月三日午後六時から、葬儀・告別式は同四日午後一時から東京都杉並区永福一の八の一、築地本願寺和田堀廟所で。喪主は長女の夫、野杁(のいり)和俊さん、葬儀委員長は演出家でプロデューサーの石井ふく子さんが務める。

 一九四〇年、松竹ニューフェースとして映画デビュー。大映、東映と移り、五九年に森繁久弥さんの自由劇団に参加し、映画や舞台の名脇役として活躍。テレビではホームドラマに欠かせない俳優となり、「渡る世間−」では嫁をいびるしゅうとめ役が受け、学園ドラマ「3年B組金八先生」では温厚な校長先生役で親しまれた。

 ドラマにNHK連続テレビ小説「藍より青く」「おしん」、大河ドラマ「おんな太閤記」など。舞台「お嫁に行きたい!!」「三婆」で菊田一夫演劇賞。二〇一三年の映画「ペコロスの母に会いに行く」に八十八歳で主演し、「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネス世界記録に認定された。

 人生相談やエッセーの執筆も手掛け、著書に「おばあちゃんの家事秘伝」。九三年に紫綬褒章、九八年に勲四等宝冠章。

◆「日本のホームドラマ変えた」

 二十九日に九十四歳で死去した赤木春恵さんは存在感あふれる演技で知られたが、若い頃は長らく役に恵まれず、後輩たちに次々に先を越されるという辛酸をなめ続けた。それでも腐らず、仕事を捨てなかったことが脚本家の橋田寿賀子さんとの出会いにつながった。「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」といった作品に起用された。

 橋田さんとのコンビで数多くの作品を手掛けた石井ふく子プロデューサーは「嫁姑(よめしゅうとめ)ものは陰湿になりがちで、ドロドロしたつらいドラマにしかならなかった。ふっくらした体形で愛嬌(あいきょう)のある赤木さんのキャラクターが、日本のホームドラマを変えた」と評している。生前、赤木さんは「橋田先生、石井先生に巡り合わなかったら、今の自分はなかった。足を向けて寝られません」と、しみじみ語っていた。

 素顔の赤木さんは、明るく、人情味があり、気配りの人だった。劇場の楽屋では手料理を作って共演者に振る舞った。大劇場の主役や座長を務めても“赤木食堂”は健在。「いざ舞台となると、脇役とか主役とか、そういった意識はありませんね。いかにいい芝居をつくるか、要はこれですもの」と、笑顔で話していた姿が目に浮かぶ。

 息子、娘の夫婦らと暮らした私生活では「和が第一」がモットーだった。「私、トラブルを起こすのが大嫌い。同じ一生なら和やかに生きたい。多少のいさかいがあっても、お互い譲る心があれば済みますもの」。そんな赤木さんだが、「渡る世間−」では皮肉にも嫁のいびり役。「あれで一番困るのは、街を歩いていて、ドラマの役と素顔をごっちゃにされること」と苦笑交じりに語っていた。

 しかし、裏を返せば、それだけ役に入り込んでいたということの証左でもある。「渡る世間−」同様、一世を風靡(ふうび)したドラマ「3年B組金八先生」では校長役を長く演じ、降板後は教育関係の講演依頼がいくつも舞い込んだというエピソードにも通じる。

 二〇一一年、八十七歳の時に「もし倒れて降板でもしたら迷惑を掛ける」と舞台俳優から引退。一三年、八十八歳で主演した映画「ペコロスの母に会いに行く」では、「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネスブックに登録され話題を集めた。遅咲きながら鮮やかな花を咲かせた女優人生の真骨頂だった。 (安田信博)

 

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