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【社会】

原爆の記憶 次代に託し 「最後の語り部」国立の平田忠道さん死去

2016年12月、最後となった家族旅行で広島の原爆ドームの前に立つ平田忠道さん

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 広島に投下された原爆で被爆し、自らの体験を語り継いできた東京都国立市の平田忠道さんが、1月に88歳で亡くなっていたことが分かった。伝承者の育成に尽力し、同市で原爆の惨禍を知る「最後の語り部」といわれた。その遺志と体験は伝承者たちが受け継ぐ。 (竹谷直子)

 「私たち 核兵器のない 世界の達成を求めます」

 昨年七月、平田さんが入院中の病院で七夕の短冊に書いた言葉が「遺言」となった。次女の細田由美子さん(53)=国立市=は「早く退院したいと何度も言っていたのに、字にした思いはあの日のヒロシマだった」と父の心情を代弁する。

 平田さんは東京・麻布で育った。中学生だった一九四五年四月、空襲が激しく、父の単身赴任先だった広島へ家族で転居。同年八月六日、近郊で勤労動員中に被爆し、母と四歳の弟が死んだ。行方の分からない二人を捜して約一カ月間、無数の死体が散乱する中をさまよった。平田さんは生前、折に触れて「地獄のようだった」と振り返った。

 戦後は証券会社で働いたが、原爆を後世に伝えるのが使命と考えた平田さんは退職後、地元の小学校などで体験を語ってきた。二〇一五年に国立市が始めた事業「くにたち原爆・戦争体験伝承者育成プロジェクト」では、長崎で被爆した同市の桂茂之さんとともに、講師役として多くの伝承者を育てた。細田さんも伝承者の一人だ。

 一七年に桂さんが亡くなると、国立原爆被爆者の会「くにたち桜会」の会長を桂さんから引き継ぎ、原爆体験者としては「最後の語り部」になった。

 昨年四月、誤嚥(ごえん)性肺炎で入院した後は、被爆の記憶にうなされて眠れない日もあったが、見舞いに訪れた伝承者や看護師らに被爆体験を話して聞かせた。徐々に容体が悪化し、一月十二日に息を引き取った。

 元気なときから「良い戦争はない。どんな戦争も間違っている。犠牲になるのは何の罪もない人たちだから」と繰り返し、最後まで平和な世の中を願い続けていた。伝承者の沢村智恵子さん(59)=東京都青梅市=は「病床でも体験を話してくれた。亡くなった母と弟を大切に思っていたことが印象に残っています」と悔やむ。

 伝承者の講話に感銘を受けた小学生が再び話を聞きに訪れたり、市外から講演依頼が来たりするなど、平田さんの取り組みは着実に根付き、広がっている。

 祖父母が広島で被爆した伝承者の李明〓(イミョンファ)さん(39)=東京都練馬区=は、平田さんの死を受けて誓いを新たにする。「体験を聞いた後に、よく『ご飯いこう』と誘ってくれた。優しい人だった。平田さんの思いを受け継いで、若い人たちに伝えていきたい」

※〓は火へんに華

平田さんが病床で書いた短冊=いずれも細田さん提供

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<くにたち原爆・戦争体験伝承者育成プロジェクト> 戦争の記憶と平和への思いを次世代に受け継ごうと、東京都国立市が、平和政策に熱心だった故佐藤一夫前市長時代の2015年に始めた事業。被爆地以外で伝承者育成を手掛けるのは珍しい。市内在住の原爆、東京大空襲の体験者が講師となり、市は受講を完了した計31人を伝承者に委嘱。市内の全小学校や図書館、公民館で定期的に「語りの会」を開いている。

 

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