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【300文字小説】

進化する寝言 谷口治子

イラスト・瀬崎修

写真

 息子が三歳のころ、大きな声で寝言を言った。

 「おかわりください!」

 もう満面の笑みである。完全に寝ているけど。きっと、保育園の給食の夢でも見ているに違いない。この笑顔からすると、夢の中の献立は息子の好物のトンカツかしら。

 そんなほほえましい時期はあっという間に過ぎ、気がつくと息子はもう十歳になっていた。大人の階段の二段目くらいでしょうか。息子の成長を感じる毎日で、寝言も合わせて進化していった。

 先日の寝言は「幕府から六千両頂戴しました!」で、なぜか予想外の時代劇だった。どういう役柄なのかわからぬが。

 そんなこんなで、寝言劇場を楽しみにしている母であった。

 (東京都新宿区・会社員・50歳)

◇ ◇ ◇ ◇

小さなスポットライト 成田礼子

 晴れやかな声。盛装したママたち。担任の先生は華やかな袴(はかま)姿だ。

 卒園児もおめかしして、ちょっと緊張気味。

 今日は保育園の卒園式。晴れて良かった。

 私は給食室で、卒園児の給食を作っている。

 ひじきご飯と玉ねぎのみそ汁。オレンジはカットして冷蔵庫へ。

 あまり早く煮始めると、式場へニオイが行っちゃうかな。

 洗い物も、静かに、静かに。

 そろそろ式が終わる頃。

 ガラス戸をコツコツ。

 男性がのぞき込む。

 「卒園児の父です。娘との会話の始まりは、『今日の給食はねぇ…』でした。娘がいつもうれしそうに話してくれて。三年間ありがとうございました」

 鼻の奥がツーンとした。

 (愛知県岡崎市・調理師・55歳)

◇ ◇ ◇ ◇

たんぽぽ 高橋萌香

 「あ、たんぽぽ」

 帰り道、君がそう言って立ち止まった。

 その足元には、たしかにたんぽぽがあって、時折やわらかく吹く風に乗ろうか乗るまいか、迷っているような綿毛が揺れていた。

 「たんぽぽって、自分がどこに行くかなんて、知らないんだね。まるで、あたしたちみたい」

 君は、そのたんぽぽをそっと摘み取って、ふーっと優しく吹いた。

 綿毛は風に乗って舞い上がり、淡い色の空に溶けていくみたいに、遠ざかってゆく。

 ぼくも、行くあてのわからない風に乗って、どこかへ行くときが来るんだろうか。

 もしも。

 本当に、もしもの話。

 ぼくを乗せて運んでゆく風が、君の「ふーっ」だったら、ぼくはどんなに、どんなに嬉(うれ)しいだろう。

 (相模原市南区・大学生・20歳)

◇ ◇ ◇ ◇

 お子さまの成長を見守りながら、谷口治子さんの「進化する寝言」。それにしても六千両とは! 夢の世界で、いったい、どんなドラマが展開しているのか、覗(のぞ)いてみたくなります。

 春の卒園式。晴れて巣立ちの日を迎えた園児たちを見送る立場で、成田礼子さんの「小さなスポットライト」。可愛(かわい)い舌を満足させ続けた愛情給食に、素晴らしい賛辞が贈られました。

 二人で歩む道端にふと目をやって、高橋萌香さんの「たんぽぽ」。この先、どんな風に吹かれて、どこで花開くのか…分からないからこそ、まだ見ぬ未来が楽しみでなりません。

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