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【300文字小説】

父の写真 高取禎

イラスト・瀬崎修

写真

 引越を目前に控え、あれやこれやと急いで荷物を段ボールに投げ入れていたが、アルバムの整理を始めると、いつの間にか写真に見入っていた。

 家族で行った海の写真、毎年やった誕生日パーティーの写真、少年野球で初めてホームランを打ったときの写真…。いろんな場面が甦(よみがえ)る。

 でも待てよ。どの写真も父が写っていない。いっぱい写真があるのに、なぜ?

 すぐに気がついた。いつも父は家族の写真を撮っていた。撮ってばかりだったから父の写真がないんだ。

 だけどお父さん、写真が残っていなくても僕の記憶の中では鮮明に写っているよ。

 レンズ越しに家族を追う笑顔のお父さんが。

 (愛知県一宮市・38歳・公務員)

◇ ◇ ◇ ◇

ランチ 魯強

 たまたまA君とランチに行った。

 ラーメンを注文し、待つ間にいつものようにスマホを出してSNSで友達の近況を見た。

 B君は最新の写真を掲載している。新しいスーツ、格好いい。

 C君はまた昇給した。羨(うらや)ましい。

 そうだ、ラーメンの写真をアップしよう。

 おっ、D君もお昼の写真をアップした。今日は寿司(すし)か、美味(おい)しそう。E君は…F君は…。

 スマホって、本当に素晴らしい発明だね。これさえ手にすれば、どこの友達だって、近況がすぐ分かる。おかげで、人間と人間の距離が縮まるよね。

 「今日は楽しかった。またいつか一緒に食事しよう」

 「楽しみにしてる」

 A君と俺はスマホをいじりながら、顔も上げずに、別れの挨拶(あいさつ)を交わした。

 (さいたま市大宮区・会社員・33歳)

◇ ◇ ◇ ◇

焦点 矢田部千草

 少し遠ざければ読めた新聞が最近はピントが合わなくて、無意識にしかめっ面になっている。

 「そんな顔してると、シワが増えるぞ」

 心無い夫の言葉に腹が立つ。

 「あなたこそ、頬のシミが濃くなったわよ」

 つい私も、言い返している。

 老眼という現象は、どうやら連れ合いの顔には、ちょうどピントが合ってしまうらしい。このままでは、視力だけの問題では済まされないと予感して、二人はメガネ店へ向かった。

 店員に勧められたメガネをかけて、それぞれ鏡を覗(のぞ)く。自分の顔にピントが合うと、少し老けた年相応の自分が鏡に映った。

 夫は、なんだか元気がない。私は、静かに手鏡を伏せた。

 「お互い様だね」

 メガネを買って、二人は仲良く家路についた。

 (愛知県豊田市・パート・54歳)

◇ ◇ ◇ ◇

 家族の思い出が詰まったアルバムを開いて、高取禎さんの「父の写真」。収められた一枚一枚に、カメラの向こうから見つめる優しいまなざしが、くっきり記録されていました。

 運ばれてきた料理に素早くスマホをかざす人、よく見かけます。そこで、魯強さんの「ランチ」。リアルタイムの近況報告が結びつけるのは、隣の友より遠くの“いいね!”。

 年齢を重ねると次第に合いづらくなるのが、矢田部千草さんの「焦点」。でも、それに気づいた時こそ、二人して、お互いをじっくり見つめ直すいいチャンスかもしれません。

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