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【300文字小説】

婚活 玉本比呂美

イラスト・瀬崎修

写真

 イケメンで性格も良い新入社員のケンジ君は職場でも人気者だ。

 若い娘は彼の気を引こうと必死だし、おばさん連中は「あんな息子が欲しかった」なんて言っている。私もその口だが、私には本当に息子にできるチャンスがある。

 何しろ私には五人の娘がいるのだ。年齢も、彼の下二人、同い年一人、年上二人と幅広い。

 彼が日本酒に目がないことはリサーチ済みだ。

 「幻のお酒が手に入ったんだけど、うちに飲みにこない?」

 「本当ですか! それ飲みたかったんですよ」

 「今度の休みはどう?」

 「空いてます。妻も連れてっていいですか」

 (名古屋市熱田区・主婦・58歳)

◇ ◇ ◇ ◇

スイカ 加々良正美

 ある夏の午後の事。私がベランダで洗濯物を取り込んでいると、当時まだ幼稚園児だった長男が話しかけてきた。

 「スイカのタネをのみこんだら、どうなるの?」

 「頭から芽が出て、ツルが伸びて、スイカがなるんだよ」

 私はニヤリと笑った。すると、やっぱりニヤリと笑うかと思った長男の目から涙がこぼれ始めた。

 「あのね、ママ。ぼく、さっきスイカのタネをのみこんじゃったんだ」

 (しまった)と思いながら、嘘(うそ)をついたことを謝り、彼の背中をさするが、涙は止まらない。私は彼の顔をじっと見つめて問いかける。

 「町でスイカが頭から生えてる人、見たことある?」

 少しの沈黙の後、長男が見せてくれた満面の笑みは、自戒の思いと共に忘れない。

 (川崎市麻生区・主婦・48歳)

◇ ◇ ◇ ◇

アリの巣穴 根本義雄

 アリの巣穴が二つ並んでいる。親戚かな…それとも親友? などと考えながら、巣穴の前にしゃがみ込んで見詰めていた。

 今のボクは身も心もリラックスしている。長い夏休みがはじまったばかりだ。

 ボクの知識では、アリさんは働き者の象徴だが、もう二時間も観察し続けているのに、巣は静まり返ったままだ。

 巣穴の周囲は丸みを帯びた砂粒がきれいに敷き詰められ、優美な噴火口を競い合っているようだ。

 アリさんは夜働くのかな? いや、今は休憩中なのかもしれない。ボクは、見えるはずもない巣穴を覗(のぞ)き込んでみた。

 すると、奥から声が聞こえた。

 「あなたは、昨日一日ミミズを眺めていて、今日はアリ…他にすることないの?」

 女王アリの小言だった。

 (東京都東村山市・無職・82歳)

◇ ◇ ◇ ◇

 職場に登場したイケメン新人を巡って、玉本比呂美さんの「婚活」。ぜひとも我が家の息子に、と意気込んで練り上げたお誘い作戦でしたが、痛い想定外が待ち構えていました。

 子どもの心は純真そのもの、疑うことを知りません。大人の冗談を真に受けると、加々良正美さん「スイカ」のような展開に。でも、ママの一言が彼の悪夢を吹き飛ばしました。

 楽しい夏休みのシーズンが、もうすぐ。時間を気にせず、とことん自然観察に集中できた時代を振り返って、根本義雄さんの「アリの巣穴」。聞こえてきたのは自問の声でしょうか。

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