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【300文字小説】

がらがらの映画館 花木正光

イラスト・瀬崎修

写真

 今日は月曜日。私は映画鑑賞を思い立った。以前から見たい映画があったのだ。

 上映時間になったので、劇場に入った。そこで私は衝撃を受けた。

 広い館内に私一人しかいないのだ。何度か来たことのある映画館だが、こんな事は初めてだった。

 私は肩身の狭い思いで椅子に腰掛けていた。映画はやはり多くの観客と一緒に見るのが楽しい。

 予告編が始まって五分後に若い女性が一人、十分後に中年男性が一人入ってきた。

 計三人となり、私の孤独感は薄らいだ。

 映画が終わって出口に向かうと、先ほどの女性と顔を合わせた。

 苦難を共にした同志のように、二人は微笑した。

 (愛知県一宮市・会社員・60歳)

◇ ◇ ◇ ◇

疑問 松浦恭夫

 八つぁん「海の日や山の日など、近年、祝日が増えたね」

 熊さん「確かに。そのうち、湖の日や丘の日、森の日なんていう祝日ができるかも」

 八「そうなったら一年中、祝日ばかりになる。仕事はどうなるんだろう」

 熊「決まってるじゃないか。ロボットが、やってくれるんだよ」

 八「なるほど。人間は楽になるばかり。でも、ロボットの日という祝日ができたら?」

 熊「その日は、人間が働くんだ」

 八「ロボットは一年に一度だけ、お酒を飲んで昼寝ができるね」

 熊「いや、ロボットはお酒を飲んだりしない。お前さんと違って」

 八「えっ? じゃあ、いったい、ロボットは何のために働くのだろう…」

 (岐阜県可児市・無職・75歳)

◇ ◇ ◇ ◇

帰り道 皆川芳明

 象を見かけたのは、千鳥足で帰る少し長めの坂の途中だった。視線が合った気がしたのでドギマギしたが、無視することにした。何気(なにげ)なく傍らを過ぎようとすると、いきなり長い鼻が行く手を遮った。

 「いや、ほら、明日も早いんだ。部長がうるさいんだ」

 思わず泣き言を言うと、象は少しばかり頷(うなず)いてくれたような気がした。

 これは夢だ。俺は道ばたで寝ちまったにちがいない。そう思いながらも、とりあえず象の横に腰を下ろした。

 ぽつりぽつりと人が通り過ぎるが誰も特に反応しない。そのうち俺は、なんだか自分がすっかり空っぽになってしまったような気分に襲われた。

 「俺は…」

 象はゆっくり立ち上がり、その鼻を俺の肩にかけた。少し暖かかった。

 (水戸市・公務員・58歳)

◇ ◇ ◇ ◇

 劇場に足を運ぶ理由のひとつは、観客どうしで共有する興奮や感動。ところが、花木正光さん「がらがらの映画館」。味気なさを拭ってくれたのは、同じ時間を共有した女性の微笑。

 江戸落語でおなじみの八つぁん熊さんコンビが世相談議を繰り広げる、松浦恭夫さんの「疑問」。言われてみれば、人間の労働を黙って肩代わりしてくれるロボットは、何が楽しみ?

 ほろ酔い機嫌の主人公が見かけた大きな影…皆川芳明さんの「帰り道」。なんとも不可思議な出会いながら、それでいて、妙に心を和ませてくれる幻想画風味の佳品です。

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