東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 300文字小説 > サンデー版掲載入選作一覧 > 記事

ここから本文

【300文字小説】

恋の手ほどき 小阪百合子

イラスト・瀬崎修

写真

 最近、猫が家族の仲間入りをした。

 猫の可愛(かわい)さはハンパではない。クリクリの丸い瞳で見つめられると、つい抱き上げて頬ずりしてしまう。

 ところが猫はクネクネ身悶(みもだ)えすると、ツイと逃げていく。なのに、しばらくするとスリスリとすり寄ってきて、柔らかい毛並みを押しつけてくる。

 ああ、若い頃、恋をしては手酷(てひど)く振られ、ズタズタに傷ついた。

 あの頃、猫に手ほどきを受けていたら、別の人生を送っていたかもしれない。今となっては大幅に手後(ておく)れだけど。

 少し耳の遠くなった夫の「コホン」という小さな咳(せき)払いが聞こえる。

 (三重県松阪市・主婦・75歳)

◇ ◇ ◇ ◇

空の動物園 山口映子

 ワァー、星が空一面に!

 いや、屋根の上、木々の間にも。

 子供も手を伸ばせばつかめそう。すき間がないほどビッシリ輝いている。

 熊、龍、白鳥、羊…と、色々(いろいろ)な動物がはっきり見える。空一面、動物の世界だ。

 見とれていた。こわさはない。外灯のない、まっ暗な田舎でのこと。

 空気は本当にすっきり、気持ちが良い。

 あれが、はくちょう座、おうし座、やぎ座だよと空を指さし、教える伯父の声も弾んでいる。

 田舎はいいなあ。

 伯父は小学校の教師。都会に住む伯父が実家に帰っていたのだ。

 その時の星座が、強い記憶となり、七十年を過ぎても、現実だか夢だか理解しがたい思いの間によみがえる。人生の宝物なのだ。

 (東京都立川市・無職・72歳)

◇ ◇ ◇ ◇

雷おやじの声若く 川口喜仙

 押し入れに沢山(たくさん)のカセットテープがある。

 中学生の頃、父にラジカセを買ってもらい、マイク片手にテレビの前でアイドル歌手の声をエアチェック。

 「これ何? エアチェックって空気の一種?」

 当時の私と同年代になった息子は、まったく興味を示さない。

 骨董(こっとう)品同様のラジカセにセットし、再生ボタンを押すと、あたりに歌声が響く。

 息子もやっと録音機だと分かったようだ。

 「この声、昨日のドラマのお母さん役だ」と教えると、息子は「え? うそ、まじやば」と絶句。

 途中、突然、「おい! 早く飯食べろ、片づかん」と死んだ父の怒鳴り声が割り込む。

 息子は驚き、私は苦笑い。

 カセットもエアチェックも今は死語だが、雷おやじの声は若く元気だった。

 (金沢市・公務員・52歳)

◇ ◇ ◇ ◇

 もふもふ、ぷにゅぷにゅ…甘え上手な猫ちゃんにすっかりメロメロ。ふとわが身を振り返って、小阪百合子さんの「恋の手ほどき」。気配を察したご主人も、思わずゴロニャン?

 都会ではまず望めない澄み渡った満天の星を見上げて、山口映子さんの「空の動物園」。子供心にくっきり焼きつけられた、きらびやかな星座の数々。まさに宝物ですね。

 最近は、ほとんどの若者がラジカセの使い方を知らないそうです。そこで、川口喜仙さんの「雷おやじの声若く」。スピーカーから飛び出したのは、あの頃の生のサウンド。

投稿はこちらから
 

この記事を印刷する