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【300文字小説】

道半ば 安藤邦緒

イラスト・瀬崎修

写真

 古稀(こき)を迎えたのを機に「終活」に着手した。

 まずは、いつお迎えが来てもいいように、終(つい)の住処(すみか)の骨壺(こつつぼ)を買おうと、仏具店をハシゴしたものの、気に入った品がない。

 ええい。いっそ、自分で焼こう!

 そう決断し、陶芸教室に通い、腕を磨き、納得の作品が完成。

 次は墓石。墓は人目に触れる。

 ええい。墓石も作ろう!

 というわけで、石材店に弟子入りして腕を磨き、道具と原石を買い揃(そろ)え、我が家の庭に工房を建てた。

 爾来(じらい)、日々製作に打ち込み、喜寿を過ぎたが、まだ完成しない。

 年を取るのを忘れ、製作に情熱を注いでいる。

 (岐阜県北方町・無職・68歳)

◇ ◇ ◇ ◇

カラスの行水 佐宗きく

 冬晴れのある日。

 祖母と麦踏みをしていると、少し離れた川原に十数羽のカラスが集まってきた。

 何が起こるのかと見ていると、まず一羽が水に飛び込み、羽根をばたばたさせて岸に上がった。次から次へとカラスたちの同じ動作がくり返される。

 しばらく続けてカラスたちはいずこともなく去っていった。

 風呂から早く上がる人を「カラスの行水」というが、なるほどと納得できた。

 六十余年も前のこと。あれからカラスの行水を見たことはない。

 私の髪は白くなり、腰も曲がった。カラスの羽根は濡(ぬ)れ羽色。あの日のままの姿で飛んでいる。うらやましい限りだ。

 田園風景も変わり、麦は作られなくなった。が、カラスは今もどこかで行水をしているだろう。

 (愛知県新城市・主婦・82歳)

◇ ◇ ◇ ◇

午前4時の幸福 塙遼香

 ふと、目が冴(さ)えてしまった。

 時計を見ると、午前四時。

 右を向けば夫が、左を向けば娘がいる。二人ともよく眠っているようだ。

 ついこの間までは三時間おきに腹が減ったと起こされたものだが、最近は一晩熟睡できることも多くなった。

 布団をそろりと抜け出し、そっと、娘の口元に手をかざす。

 あたたかく湿った空気が当たり、呼吸していることに安心する。

 娘の小さな手を、自分の手で包む。何度しまってもすぐに布団から飛び出すその手は、冬の冷気で、すっかり冷たくなっていた。

 起こさぬように慎重に、布団の中に差し入れる。

 あと二時間。

 私も自分の布団に潜り込んだ。

 (東京都墨田区・会社員・25歳)

◇ ◇ ◇ ◇

 人生の最後を自分らしく締めくくろうと始めた“終活”でしたが、安藤邦緒さんの「道半ば」。あれやこれや技を磨き続け、とても、のんびり老い込んでいるヒマはありません。

 人間界では入浴時間が短いたとえ、佐宗きくさん「カラスの行水」。実際のカラスは大変きれい好き。真っ黒な羽毛のツヤを保つため、厳冬期も毎日の水浴びを欠かさないそうです。

 この季節、夜明け前の一番冷え込む時間帯に、塙遼香さんの「午前四時の幸福」。家族ならではのぬくもりが、たっぷり詰め込まれた一篇(ぺん)。読み手の心も、じんわり温まります。

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