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【300文字小説】

野良猫 小川三夫

イラスト・瀬崎修

写真

 その猫は、一昨日の夕方、家の庭に現れた。やせ細っていて相当みすぼらしい感じの猫だった。庭の隅っこで用心深そうにこちらを見ていた。

 私は、ふと気まぐれで、いつ買ったかも記憶にない「煮干し」を投げてやった。猫は勢いよく飛びかかるようにしてむさぼり食い、ちらりと私を一瞥(いちべつ)すると、すたすた去っていった。

 その猫は、翌日も庭に現れた。庭の中ほどに、ちょこんと行儀よく座っていた。

 私は前日の「煮干し」の残りを庭の手前にばら撒(ま)いてやった。猫はおもむろに餌に近づくと、すぐに平らげて悠然と去っていった。

 今日、私は、昨日わざわざ買ってきた「煮干し」と「キャットフード」を用意して、あいつが来るのを既に二時間も待っている。

 (名古屋市緑区・無職・69歳)

◇ ◇ ◇ ◇

バスの中で 能村孝

 帰宅した妻がプンプンしている。

 「バスの中で二度も若い子に席を譲られそうになったわ。私って、そんなに老けて見えるのかしら」

 「俺はお前より八つも年上なのに一度も声かけられたことないよ」と言うと、「それは、あなたの顔が怖いからよ」とあくまでも「見た目」にこだわっている。

 過日、手荷物を持って乗り込んだバスは混んでいた。

 人混みに押されて女子高生が座る席の前に立つと、「お持ちしましょうか」と声をかけられた。

 私は有難(ありがた)く申し出を受けることにした。私の手荷物は彼女の膝の上に置かれた。

 私の顔は妻が言うほど怖くないのか、それとも彼女が単に怖いもの知らずなのか。

 下車の折、お礼を述べて受け取った手荷物の底が温かかった。 

 (金沢市・無職・71歳)

◇ ◇ ◇ ◇

お疲れ様でした 角田蒼

 私は電車通学で、乗車時間は四十分弱だ。その間にいくつもの駅を通り過ぎ、いろんな人が降りていくのを見送る。

 私はなんとなく暇になり瞼(まぶた)を閉じたが、あと二駅ほどで降りる駅だと気づいて目を覚ます。

 電車に乗った時はたくさんいた乗客も、ずいぶん減った。向かいの席には、すでに人がいなかった。

 ふと、どのくらいの人が乗っているのだろうと思い、あたりを見回す。

 まだ、ぽつぽつと人がいた。

 リュックを抱いて寝る大学生らしき人…中学が同じだったのか、制服が違うけれど会話を交わしている女子高生…参考書を開いて真面目に勉強している男子…。

 みんな、どこかに疲れが見える。そして今日もまた終わっていく。

 皆さん今日もお疲れ様でした。

 (岐阜県海津市・高校生・16歳)

◇ ◇ ◇ ◇

 庭先にふらりとやってきたのは、小川三夫さんの「野良猫」。気まぐれの親切だったエサやりでしたが、たった三日ですっかり親身に。来訪を待ちながら、呼び名を考えていませんか?

 他人の親切が素直に受け止められないこともある、能村孝さんの「バスの中で」。でも、譲り合い、助け合いは、世間の潤滑油。ぬくもりは、自然と相手に伝わります。

 バスに続いては電車内での人間観察、角田蒼さんの「お疲れ様でした」。朝から一日がんばってホッと一息つく時間帯。その一言には、ねぎらいと同時に満足感も漂います。

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