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【300文字小説】

独り言 池田明子

イラスト・瀬崎修

写真

 せっかくの休みなのに、朝からどしゃ降りの雨。出かける事もできなかった。

 スマホにも飽き、ふと窓の外を見ながら、思わず「いいかげんに泣きやんでくれよ」とつぶやいていた。あれっ、これって俺の独り言?

 ベッドに横になったら、「悪いね、いつも重たい思いをさせて」。

 なんなんだ? 勝手に言葉が出てくるぞ。

 でも、おかげで心の奥の固まりが少し柔らかくなったような気がした。

 その時、スマホが鳴った。友人からだ。

 「飯食べに行こう」

 「行く行く」と即答。

 固まりが溶けた。そうか、俺は誰かと話したかったんだ。 (愛知県豊橋市・主婦・54歳)

◇ ◇ ◇ ◇

夏のメロン 前岡彩美

 「果物好きなところは、あんたに似たね」

 そう言いながら、豪快な祖母が半分に切ったメロンを差し出した。

 四歳の息子はスプーンでザクザク掘り、果肉と果汁をたっぷり頬張った。

 血色の良い頬がポコンと膨らむ。口をすぼめて咀嚼(そしゃく)すると、ゴクンと呑(の)み込み微笑(ほほえ)んだ。

 「一生懸命食べる口が、めんこくてな」

 張りのある怒鳴り声が似合う祖母の、柔和な声だった。

 その手には、おしぼりがギュッと握られていて、ときおり曽孫(ひまご)の顔とテーブルを拭う。

 「果物はビタミンが豊富でしょ。我々も毎日食べるからハリツヤがいいのよ」

 祖母は、にひひと笑った。話にいつも冗談を交えて自分で笑う。

 それを見て息子も、にひひと笑う。

 馬の合う二人だ。 (札幌市豊平区・主婦・31歳)

◇ ◇ ◇ ◇

電車 吉原京香

 電車で席を譲られた。

 譲ってくれたのは中学生くらいの女の子。

 席を譲られるという初めての経験に、しかも予想よりずっと早く訪れた場面に、正直戸惑った。

 確かに去年孫が生まれて“おばあちゃん”になったけど、私はまだ五十代半ば。席を譲られるような歳じゃない。

 席を譲られたということ自体、少しショックだった。

 「大丈夫よ」と断るのか、「ありがとう」と座るのか。

 葛藤すること数秒。

 私は「ありがとう」とお礼を言って座った。

 女の子はちょっとうつむいて照れ笑いしていたけれど、その表情から彼女のドキドキする心臓の音が聞こえるような気がした。

 夕日に照らされた彼女の頬が紅く染まっていた。 (東京都昭島市・パート勤務・52歳)

◇ ◇ ◇ ◇

 さまざまなコミュニケーション手段が張り巡らされたネット社会で、池田明子さんの「独り言」。指先だけの“つぶやき”よりも、やはり声に出して誰かとやりとりしたくなります。

 フルーツのみずみずしさが身にしみる季節に、前岡彩美さん「夏のメロン」。それを大喜びで頬張ってくれる“めんこい”笑顔が、家族にとっては、なによりのごちそうですね。

 最初は誰しも戸惑いを覚えるようです、吉原京香さんの「電車」。でも、せっかくの親切を無下(むげ)に断るのも“大人げ”ない話。素直に受け取って感謝の言葉を返せば、お互い笑顔。

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