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【政治】

羽田孜氏死去 「立派すぎない」政治家

半袖スーツで会見に臨む羽田孜元首相=1994年8月、国会で

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 「あなたほど対話重視で頑固な人はいない」

 二十五年ほど前の話。こんな無礼な話をした記憶があるが、まんざらでもなさそうに笑っていた。当時、羽田孜氏は「ミスター政治改革」として小選挙区制の導入などの政治改革に奔走中だった。政治改革といっても実態は自民党竹下派内の権力闘争という側面は否定できないが、この人だけは純粋に選挙制度を変えるべきだと信じていた。その姿を自ら「熱病患者」に例えた。

 羽田氏は結婚披露宴に招かれると、新郎新婦に詩人・吉野弘氏の「祝婚歌」を贈った。「二人が睦(むつ)まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい」から始まる。羽田氏の人生訓でもある。

 意見の違う人とも愚直に語り合う。もの別れになっても相手と、しこりが残らない。

 一九九三年六月十八日。内閣不信任決議案の扱いを巡って行われた宮沢喜一首相との会談。決議案への賛成を考える羽田氏を宮沢氏が説得し、会談は長引いた。「羽田氏が懐柔されたのでは」という観測も漏れたが、ここも政治改革を訴え持論は曲げなかった。この決断が衆院解散、政界再編の引き金を引いたが、宮沢、羽田両氏の関係はその後も続く。

 非自民連立政権の首相には羽田氏ではなく細川護熙氏がついた。念願の首相になったのは翌年四月。既に政権の足並みは乱れ少数与党になっていた。「平時の羽田」と評されていた男が、大乱世での出番となり、得意の対話で切り開く道が閉ざされていたのは心残りだろう。

 つき合いのある記者たちがそば屋に集まり開く誕生会は長く続いた。体調のせいか少しずつ言葉は少なくなっていったが、対話重視で頑固で「立派すぎない」愛されるところは変わらなかった。 (政治部長・金井辰樹)

 

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