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【政治】

野中広務氏死去 92歳自民ハト派、元官房長官

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 官房長官や自民党幹事長などを歴任した元衆院議員の野中広務(のなかひろむ)氏が二十六日午後、京都市内の病院で死去した。九十二歳だった。京都府出身。

 一九九八年七月に発足した小渕内閣で官房長官を務め自民、自由両党による連立政権の樹立に尽力。公明党の要望を受け地域振興券を実現するなど、九九年の自自公連立政権樹立へ道筋を付け「影の首相」とも呼ばれた。「政界の狙撃手」の異名もある激しい闘争姿勢で知られる一方、九七年には沖縄の基地問題に絡む米軍用地特別措置法改正案の衆院本会議採決で、担当の委員長として「大政翼賛会にならないようお願いしたい」と異例の意見表明をするなど「ハト派」の顔を持っていた。

 二〇〇〇年に自民党幹事長に就任。加藤紘一元幹事長が当時の森喜朗首相に反旗を翻した「加藤の乱」を鎮圧、剛腕ぶりを発揮した。

 〇一年四月の党総裁選で橋本龍太郎元首相を担いだが小泉純一郎氏に敗北。「抵抗勢力」と標的にされ、影響力に陰りをみせた。〇一年のテロ対策特措法、〇三年のイラク復興支援特措法の採決を棄権。当時の小泉首相の日米同盟路線には警鐘を鳴らした。

 〇三年十一月の衆院選に出馬せず、政界を引退した。その後もテレビ出演など精力的に活動し、集団的自衛権の行使容認などを念頭に安倍晋三首相の政権運営を「危険で偏った政治」と批判した。

 一九五一年に京都府園部町(現南丹市)の町議に二十五歳で初当選したのを振り出しに同町長、京都府議、副知事と歩んだ。八三年の衆院補選で当選し五十七歳で中央政界入り。衆院当選七回。九四年、村山内閣で自治相兼国家公安委員長として初入閣。阪神大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件に対処した。

 

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