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【埼玉】

<となりの障害者> (中)外の世界へ 自由に生きたい

大型映画館を訪れた工藤さん(右)と佐藤さん。2人ともホラーやサスペンス作品を好む=県内で

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 小林厚士(33)は知的障害と軽い吃音(きつおん)がある。会話は苦手だ。その人生で最大の出来事を尋ねると、きっぱりと答えた。「家出です」。二〇〇五年の正月、通勤の定期券だけを手に久喜市の実家を飛び出して以来、さいたま市内のアパートで暮らしている。障害者自立支援組織「虹の会」事務所のすぐそばだ。

 家出の二年前から、同会が運営するリサイクル店「にじ屋」の店員だった小林。だが父親は、外で働くことに反対だった。〇四年十二月、「もう行くな、って監禁された」。無断欠勤が一週間も続いた翌月二日。やっと「パンを買ってきて」と外出を許された。「にじ屋では友だちができたけど、このままだと終わりだ」。パン代の二百円をそっと自宅の郵便受けに戻し、そのまま駅に向かった。

 虹の会副会長の佐藤一成(50)によると、二百円を見た父親は「俺が『お金を盗んじゃいけない』と言ったことは守ってくれた」と泣き、「厚士が望むなら」とアパート暮らしを認めた。「虹の会より施設に入れた方が安心だと、お父さんなりに将来を心配していたんだろう」と推し量る。

 それから十一年半。出勤前には近くの事務所に仲間と集まるのが小林の日課だ。「そこで佐藤さんが作った朝ご飯をみんなと食べるのが、一番楽しい」

     ◇

 小林と同じアパートには、全身の筋肉が動かなくなる進行性の難病、筋ジストロフィーの工藤伸一(51)も暮らしている。

 わずかに動く右手でパソコンを操り、特殊な機器を使って呼吸の回数や長さでエアコン、部屋の照明などを自分で動かす。寝室の隣には、工藤の指示でトイレや入浴、食事などを手助けする男性介助者が二十四時間体制で待機する。介助者を派遣する虹の会で会長を務める工藤は、最古参の一人だ。

 同会は一九八二(昭和五十七)年に発足。当初は同じ病気の福嶋あき江(故人)の支援団体だった。筋ジス患者の退院は不可能だといわれていた当時、募金を集めて一年余り米国の障害者福祉を視察。帰国後は旧浦和市で自立生活を始め、話題の人となっていた。

 その頃、工藤は蓮田市の筋ジス病棟にいた。「なぜ他人の力まで使って外で暮らすのか」。福嶋を否定する半面、迷いもあった。

 入院生活は九歳から。数年後には車いす生活となり、十九歳で電動車いすに。若い患者が多い病棟は「学生寮のような雰囲気」。こっそり成人雑誌を買ったり酒を飲んだり、一種の「青春」があった。だが苦痛だったのは、自由にトイレに行けないこと。趣味の油絵も決まった時間だけ。日常すべてに制約があった。

 八八年、病棟の交流会で同会のボランティアと知り合ったことから、埼玉大四年だった佐藤が定期的に会いに来るようになり、気持ちが動いた。「病院にいればそれなりに生活できるが、ずっと環境は変わらない。だったら死んでもいい。思い切って外に出たい」。翌年七月、二十四歳で現在のアパートに移った。

 病気は現在も進行中だ。自発呼吸が弱まり〇二年に気管を切開。旅行中に呼吸器のバッテリーが切れ、冷や汗をかいたこともある。それでも工藤は、佐藤らとの映画館通いを毎週続けている。「(生命の)保障はなくても自分の責任で、自分の意思で決められる。それだけで自由を感じる」。この夏、工藤の一人暮らしは二十八年目に突入した。 =文中敬称略(谷岡聖史)

 

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