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【埼玉】

東松山の将軍塚古墳 市教委と早大研究室が3次元測量調査へ

早大が調査をすることになった将軍塚古墳(奥が後円部)=東松山市で、本社ヘリ「まなづる」から

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 東松山市教育委員会は十五日、同市下野本にある大型の前方後円墳「将軍塚古墳」(全長百十五メートル、高さ十五メートル)の形状や内部構造を調べるため、早稲田大学考古学研究室の協力で三次元地形測量と地中レーザー探査による非破壊調査を行うと発表した。

 将軍塚古墳は規模などから、かなり有力な豪族が埋葬されたとみられているが、発掘調査が行われていないため、築造年代や豪族が埋葬された主体部の位置、構造も分かっていない。調査は二十七日から一カ月かけて行われ、謎の解明につながる成果が期待される。

 市教委によると、将軍塚古墳の築造年代を推定する議論は、四世紀後半から六世紀前後まで分かれている。三次元地形測量では、古墳のもともとの姿を推測するデータが得られる可能性がある。また、レーザー探査で主体部の位置や大きさ、石や粘土などの素材が分かれば、年代が分かっている他の古墳との比較が可能になるという。

 将軍塚古墳から約一キロ南の反町遺跡(同市高坂)では、古墳時代前期の四世紀ごろに大集落があったことが分かっている。県立さきたま史跡の博物館の佐藤康二主任学芸員は「遠く北陸地方や山陰地方から持ち込まれた土器が見つかっており、埼玉(さきたま)古墳群(行田市)より早い時期に、一帯の中心地があったと考えられている」という。

 反町遺跡の西側にある高坂古墳群からは二〇一一年、県内で初めて「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が発掘された。この地域にヤマト王権とつながりのある有力豪族がいた可能性が強まり、謎に包まれた将軍塚古墳が改めてクローズアップされることになった。

 一方、東松山市はホームページで将軍塚古墳を「県内第2位の大きさ」と紹介しているが、現在、大きさがほぼ確定している前方後円墳は「二子山古墳」(全長百三十八メートル)「真名板(まないた)高山古墳」(同百二十七メートル)「稲荷(いなり)山古墳」(同百二十メートル、いずれも行田市)の順となっており、説明の見直しを検討する。

 ただ、将軍塚古墳の南側は後世の開発で削られたと考えられており、今後の調査でより大きい、本来の規模が分かる可能性があるという。 

  (中里宏)

 

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