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【埼玉】

<ひと物語>茶の芸術に誇りかけ 永世茶聖の称号を持つ狭山茶生産者・中島毅さん

繊細な針のように仕上げた手もみ茶を披露する中島毅さん

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 「葉振るい」→「軽回転」→「重回転」→「もみ切り」→「でんぐりもみ」→「こくり」…八時間の工程を経て、中島毅さん(37)が完成させた手もみ茶は、一本一本が繊細な針のように見えた。味わいを例えれば高級なだし汁だろうか。杯ほどの量で、口いっぱいに風味が広がり、満腹感を覚えるほどの深みがあった。

 手もみ茶とは、手摘みして蒸した茶を手でもみ、乾燥させる昔ながらの製法で作られたもの。中島さんの場合、すしでいえば「大トロ」に例えられる茶葉を厳選する。一日の製茶量は三百グラムが精いっぱいという。

 「見て楽しめ、飲んで楽しめ、食べられる上、希少価値も大きい。お茶の芸術品と呼ばれるゆえんです」

 中島さんは昨年の全国手もみ茶品評会で、三連覇を含む五度目の農林水産大臣賞(茶聖)に輝き、初代「永世茶聖」の栄誉を暫定保持した。出品作は競りにかけられ、一キログラム当たり約百二十五万円の最高値で落札されたという。

 「永世茶聖をいただいたから終わりではない。新たなスタートと考え、謙虚に下積みを重ねていきたい」

 順風満帆だったわけではないから謙虚になれる。例えば二〇一〇年に初めて日本一となり、連覇を目指した一一年の品評会では順位が急降下したという。

 「洗濯柔軟剤のにおいが付いた作業衣で、お茶を作ってしまったことに、仲間からの指摘で気づいた。日ごろから使用していたので気づかなかった。慣れは恐ろしい」

 作業衣はもちろん、土や肥料など、茶園管理、製造技術の全てを見直して翌年の品評会に挑んだ。結果は二度目の農林水産大臣賞獲得。「失敗して見直す時期があったからこそ、今の成長がある」と息をついた。

 振り返ると将来の夢は小学校教諭だった。「子どもたちと触れ合いたかった」。でも「十三代続いた家業を絶やすわけにはいかない」と、高卒後の進路を茶業専門学校に切り替えた。

 家業を継ぐに当たり、着目したのが手もみ茶。「狭山茶のブランドは大切だが、それだけで将来生き残れるとは限らない。その点、手もみ茶は生産者そのものがブランドになれる」と創意工夫を積み上げてきた。

 今は、永世茶聖の称号に対する責務を感じる日々。「日本茶のファンを増やしていくきっかけが手もみ茶であれば、その機会をつくらなければ」。妻伸子さん(36)との間に、五月に生まれた長女凜佳(りんか)ちゃんの存在も励みになる。「父が誇りを持って仕事に打ち込む姿を見せたい」と意気込んでいる。 (加藤木信夫)

<なかじま・つよし> 1979年、入間市生まれ。地元の県立高を卒業して、静岡県の茶業研究所併設の全寮制お茶専門学校(2年制)で製茶を学んだ後、家業の大西園製茶工場14代目に。全国手もみ茶品評会では、1位の農林水産大臣賞受賞者に付与される「茶聖」を2010、12、14〜16年の計5回獲得し、初代「永世茶聖」の称号を暫定保持。

 

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