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【埼玉】

長瀞「県立自然の博物館」で特別展 秩父鉱山 成り立ち紹介

平賀源内が代官宛てに記した鉄の採掘願い(写し)などの文書=長瀞町で

写真

 長瀞町長瀞の県立自然の博物館で特別展「秩父鉱山 140種の鉱物のきらめき」が開かれている。秩父鉱山は金や鉄、鉛など多くの金属に恵まれ、江戸時代の博物学者、平賀源内(一七二八〜七九年)も探査に訪れた。鉱山の成り立ちや採掘の歴史、鉱山町の暮らしぶりなどを貴重な鉱物標本や写真などで紹介している。来年一月十四日まで。(出来田敬司)

 秩父鉱山は秩父市中心部の西約三十キロの大滝地区に位置。荒川上流の中津川の流域に当たり、群馬・長野県境近くの険しい山に囲まれている。鉱物は百四十二種に及び、全国的にも最も多種の鉱物を産出するとされる。史料によると、江戸時代前期の慶長十三(一六〇八)年ごろ、金が取れたとの記述がある。

 秩父鉱山は、地中深くのマグマが石灰岩に接触することでできた「スカルン鉱床」。熱や圧力、酸化などさまざまな化学変化で、多種多様な鉱物を形づくった。展示では、江戸初期は金、江戸後期は銀や鉛、昭和初期は亜鉛と、採掘対象が時代とともに変わってきたことを説明している。

 展示で特に力を入れているのが平賀源内の探査だ。源内は明和元(一七六四)年、燃えない布の原料となる石綿を求めて鉱山に入ったが、後に金や鉄の掘削に乗り出した。江戸に鉄を運ぶため、荒川の舟運の起点を久下(現熊谷市)から贄川(現秩父市)とするなど、物流の開拓にも貢献した。

 鉄の需要が高まった明治時代を経て、一九三七(昭和十二)年、現在の「ニッチツ」が鉱山経営を開始。六五年前後に最盛期を迎えたが、エネルギー革命や海外品の流入で、七八年に金属の生産を終えた。展示の写真パネルからは、坑内で操業する作業員の姿や、会社と学校の合同の運動会など、最盛期の鉱山町の暮らしぶりが読み取れる。

 井上素子主任学芸員は「鉱物資源や写真など、秩父鉱山の貴重な資料が散逸しつつある。資料を後世に伝えないと、との思いで収集に努めた」と話す。

 開館時間は午前九時〜午後四時半(入館は午後四時まで)。祝日を除く月曜と年末年始は休館。一般二百円、高校生・大学生百円。中学生以下無料。問い合わせは県立自然の博物館=電0494(66)0404=へ。

 

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