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【埼玉】

東松山の「将軍塚古墳」 4世紀後半の築造と判明

4世紀後半の築造と分かった東松山市の「将軍塚古墳」(今年2月撮影)=東松山市で、本社ヘリ「まなづる」から

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 東松山市教育委員会は二十九日、同市下野本にある大型の前方後円墳「将軍塚古墳」(全長百十五メートル)が、古墳時代前期の四世紀後半の築造と判明したと発表した。古墳の南北には同時代に栄えた集落跡として有名な五領遺跡や反町遺跡がある。一帯は当時の交易拠点だったと考えられており、この地を治めた同時代の有力な首長の墓である可能性が強まった。 (中里宏)

 早稲田大学考古学研究室が市と共同で今年二月から、三次元地形測量と地中レーダー探査による非破壊検査を実施。精密な測量の結果、前方部が二段、後円部が三段の構造になっていることが初めて分かった。また、後円部の地中に南北八メートル、幅三・五メートル、高さ一メートルの埋葬施設(主体部)が未盗掘で残っていることが分かった。

 県史跡で発掘調査が行われていない将軍塚古墳については、築造年代を巡って四世紀と六世紀前後に議論が二分していたが、墳形や主体部の特徴から四世紀後半であることで決着した。

 築造年代が確定したことで、南北にほぼ直線上に並ぶ位置関係にある五領遺跡や反町遺跡との関連性もより強まった。

 約一・二キロ北にある五領遺跡は「五領式土器」の由来にもなった古墳時代前期の集落跡。今回の調査結果が出る前から「五領遺跡には(出土物の特徴から)首長の居館があり、その首長は将軍塚古墳の被葬者ではないか」と主張する研究者もいた。

市が作成した将軍塚古墳のイメージ図

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 一・四キロ南の反町遺跡も同時代の大集落で、山梨県の水晶や地元の緑色凝灰(ぎょうかい)岩で装身具の勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)を作っていた工房跡が見つかったほか、近畿、北陸、東海地方の土器類も多く出土しており、行田市の埼玉(さきたま)古墳群一帯より百年ほど早い時期に、水運のある交易拠点だったと考えられている。

 反町遺跡を見下ろす場所に築造された将軍塚古墳の墳形は、今回の調査で奈良県の行燈山(あんどんやま)古墳や渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳に類似していることも分かった。反町遺跡のすぐ西側にある高坂古墳群からは、四世紀以降の古墳から出土する「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が県内で初めて見つかっており、ヤマト王権とこの地域との結び付きが注目されていた。

 将軍塚古墳に発掘調査の予定はないが、今後は磁気検査で金属の副葬品などがないか調べることも検討するという。

 

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