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【埼玉】

元禄時代の作製か 川越の尾崎さん 古絵図発見し公開

絵図の拡大。東が上になっている。左端の赤い四角は「丸馬場」となっており、時代を推定する鍵になりそうだ

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 川越市松江町で古美術店を経営する尾崎征男さん(76)が、江戸時代前期に作製された可能性のある川越城周辺の古絵図を発見し、八日、公開した。尾崎さんは「絵図の特徴から柳沢吉保が川越藩主になった元禄七(一六九四)年ごろに作られたのではないか」と話している。

 絵図は縦六十四センチ、横八十二センチ。「武州入間郡川越城中城外家中屋敷町寺社刻絵図」と書かれ、川越城と城下町の町割が細かく描かれている。

 元禄時代が終わった宝永元(一七〇四)年から、四代続いた藩主・秋元家の菩提(ぼだい)寺「泰安寺」のあった場所が「丸馬場」として描かれていることから、尾崎さんは、それ以前の元禄時代の作製と推測する。

 絵図は武家屋敷と町人の町、寺社が色分けされており、城内の門の位置や城外の馬場、鉄砲場、火薬庫なども記されている。尾崎さんは「新しい藩主が幕府に納めた地図の写しではないか。研究者の参考になると思う」と話す。現在の通りと一致する道も多く、地図に「八十間」などと書かれた道の長さも一致しているという。

 川越市立博物館の宮原一郎学芸員は「元禄時代の川越の絵図は複数存在するが、(川越城の)北門が『菊之門』と書かれている絵図は見たことがない」と指摘。「一見したところでは寺社が赤く囲ってあり、寺社に特化した絵図に見える。表題からは大名が転封されてきて、家臣たちに屋敷を割り当てたときの絵図とも考えられる。どう使われたものかは詳しく調べないと分からない」としている。

 絵図は東が上になっており、字の向きもまちまちだが、寺社名は上から下に読めるように書かれている。

 (中里宏)

 

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