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【埼玉】

旧陸軍「火工廠」の真実、後世に ふじみ野・富田さん出版の本復刻 

復刻版を作製した富田竹雄さん(前列左)、橋本光男さん(後列右)ら「再版の会」のみなさん=ふじみ野市で

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 ふじみ野市の富田竹雄さん(88)が一九九五年、同市中心部にあった旧陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)川越製作所(通称・火工廠(かこうしょう))の出来事をまとめて出版した「火工廠物語」の復刻版(四百ページ、千六百円)五百部が完成。復刻版作製に取り組んだ市民有志らの「再版の会」(熊谷洋興委員長)が、小中学校や図書館などへの寄贈を始めた。 (中里宏)

 火工廠は一九三七(昭和十二)年に操業を始めた。陸軍の戦闘機や対空機関砲用の機関砲弾を主に生産し、第二次大戦末期には偏西風に乗せて米本土空襲を狙った風船爆弾や陶製手りゅう弾の起爆装置なども作っていた。

 最盛期は約五十五ヘクタールの敷地に約七百の建物があり、終戦時には動員された旧制中学、女学校、国民学校高等科の生徒らも含む約五千人が働いていたとされる。

 火工廠の内部は軍事機密として厳しく管理され、職員や動員学徒は自分の部署以外のことを知ることや、内部の話を家族に話すことも禁じられていた。川越中学(現川越高校)三年の生徒ら九人が死亡する爆発事故など多くの事故があったが、一切公表されなかった。

 富田さんは四四年、国民学校高等科を卒業して火工廠に製図係として就職。仕事の必要上から工場内の見学が許され「ほかの人より、内部の様子を知りうる立場だった」という。「自分の建物のすぐ隣で事故が起きた。本当のことを知っている自分が記録を残したい」と、元職員らを訪ね歩いて証言を集め、戦後五十年を機に出版した。

 元中学校長の熊谷さんらが「図書館にも残部が少なくなった。ここに火工廠があったことは知っていても、中で何があったか知っている人はほとんどいない」と、昨年八月に再版のための実行委員会立ち上げを市民に呼びかけた。

 呼びかけを報じた本紙記事をきっかけに熊谷さんらの活動を知った元県副知事の橋本光男さん(69)=さいたま市=も加わり、同十月に有志五人で再版の会を結成。都内の出版社に復刻を依頼した。

 橋本さんの父守三さん(故人)は三八年から終戦時まで検査係として火工廠に勤めていた。橋本さんが一歳のときに亡くなったため、戦前の話を聞く機会はなかった。数年前、実家の遺品を整理中に守三さんの工員手帳や職場の仲間と野球のユニホーム姿で写した写真を発見。以来、火工廠のことを調べていた。復刻本を受け取った橋本さんは「一刻も早く読みたい」と話していた。

 問い合わせは熊谷さん=電090(6122)8739=へ。

 

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