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【埼玉】

<ひと物語>幡羅官衙遺跡 解明に全力 発掘の立役者 深谷市職員・知久裕昭さん

国史跡指定が決まった幡羅官衙遺跡群が地下に眠る畑の前に立つ知久さん=深谷市で

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 深谷市東部から熊谷市にまたがる台地に広がる畑。面積は九万五千平方メートルと、東京ドーム二個分の広さだ。地中には、飛鳥時代から平安時代にかけての地方行政の拠点だった郡役所の遺構「幡羅官衙(はらかんが)遺跡」が眠っている。昨年十一月、熊谷市側の西別府祭祀(さいし)遺跡とセットで「幡羅官衙遺跡群」として国史跡への指定が決まった。

 「あの時は、背筋にゾクゾクっと電流が走るような感覚を覚えました」

 深谷市の職員になって四年目を迎えた二〇〇一年、知久裕昭さん(44)は養豚施設の建設現場で出土した遺跡の試掘調査に立ち会った。土の中から一辺が一メートル超の四角い柱跡を見つけ、「これはかなり大きい建物の跡だ。もしかしたら倉庫跡かもしれない」と思った。その直感が貴重な遺跡発掘の端緒となった。

 追加調査で柱跡がいくつも見つかり、大型の高床式倉庫群の遺構と判明。当時の税であったイネを保管する「正倉院」の跡だった。発掘調査は三十五次にわたる大規模なものになり、高級役人の宿舎跡や厨房(ちゅうぼう)跡、鍛冶工房跡などが続々と見つかった。遺跡の中央には、路面幅八メートルほどで両側に側溝を作った大規模な道路が北東から南西方向に走り、その北西に正倉院、南東に役所施設が確認された。

 知久さんは栃木県の日光街道沿いにある江戸時代から続く旧家に生まれ、子供のころから「古いもの」への愛着が強かった。歴史好きが高じて大学で考古学を専攻。それまで多くの遺跡発掘調査に参加してきた経験が生きた。

 「幡羅官衙遺跡は県の考古学会待望の大発見だった。知久さんが発掘現場で経験を積み、地道な努力を重ねてきた成果だ」と埼玉考古学学会の高橋一夫会長(71)は見る。「最初に見つかった柱跡を、役所関係の施設か否かを見極めた知久さんの見識眼がなければ、その後の調査も、今回の国史跡指定もなかった」

 幡羅官衙遺跡は、平安時代には武蔵国に二十一あった郡の一つ幡羅郡の役所跡だ。熊谷市側の祭祀場跡や寺跡は当時の郡役所と一体に機能していたものとされ、全国的に見て希少性は高い。

 「国史跡への指定が決まり、自分の役目を果たすことができた」と知久さん。心残りは遺跡発掘で目標にしてきた郡役所最大の施設「郡庁」が未発見な点だ。「遺跡の保存と活用方法の検討など、今後の課題はまだまだ多い」と気を引き締めている。

  (花井勝規)

<ちく・ひろあき> 1973年、栃木県野木町生まれ。明治大学文学部で考古学を専攻。卒業後、深谷市役所に入り、市内で数々の遺跡発掘調査を手掛ける。国史跡指定が決まった「幡羅官衙遺跡群」を構成する幡羅遺跡発見の立役者。1月下旬、これまでの研究成果をまとめた「武蔵国幡羅郡から見た古代史」をまつやま書房(東松山市)から出版した。問い合わせは同書房=電0493(22)4162=へ。

 

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