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【埼玉】

「俺は死なない」言ってたのに… 金子兜太さん死去で悼む声

本紙の取材に反戦の思いなどを語る金子さん=2017年10月、熊谷市の自宅で

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 98歳で亡くなった俳人・金子兜太さんは、幼少期を皆野町で過ごし、後半生は熊谷市で暮らした。故郷を愛し、俳句の選評や講演でしばしば各地を訪れ、句碑も多く残された。ざっくばらんで飾らない性格が愛され、太平洋戦争で出征した経験から、講演では平和の尊さを頑固に訴えた。 (花井勝規、出来田敬司)

 金子さんの熊谷市内の自宅には二十一日早朝から俳人仲間やゆかりの深い人々が次々と弔問に訪れた。

 半世紀以上熊谷市に住んできた金子さんは市の名誉市民。市役所は半旗にし、弔意を表した。市役所ロビーには在りし日の金子さんの写真とともに記帳所を設置。二〇一六年に市内四カ所に設置した金子さんの句碑の前にもそれぞれ献花台が設けられた。

 市役所近くの中央公園の句碑に刻まれた句は「利根川と荒川の間雷(あいらい)遊ぶ」。

 日銀に勤務していた時期の一九六七年、東京都内から熊谷に転居して間もないころ目にした光景を詠んだ。「どこよりも広い熊谷の空を駆け巡る雷鳴が強烈な印象に残った。その後何度か書き直してはいるけど気に入っている自信作だ」と話していた。

金子さんが「自信作」と語っていた「利根川と荒川の間雷遊ぶ」の句碑に設置された献花台に花を供える市民=熊谷市で

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 金子さんと四十年来の親交があった工務店経営の時田芳文さん(69)は「金子さんは普段から口癖のように『俺は死なない』と言っていたのに…」とショックを隠さない。

 昨年十二月中旬、金子さんと対談した熊谷市立江南文化財センターの職員山下祐樹さん(35)は「金子さんは自身の戦争体験を基に、『背負っている運命を大切にしながら自由に表現していくことが大事だ』と話していた。熊谷の文化の海外発信にも意欲を示してくれていただけに残念」と語った。

 

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