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【埼玉】

<ひと物語>相撲、故郷に根付かせ 入間少年相撲クラブ総監督・西沢正夫さん

腕を組み少年たちの稽古を見つめる西沢さん(右奥から3人目)=入間市で

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 「何が悪かったんだ」

 「こっち(左手)です」

 「そうだ! (自分で)理解して修正しないと直らないぞ」

 大相撲幕内の北勝富士関(25)や、角界デビューした一月場所で序ノ口優勝を飾った塚原隆明さん(18)らを輩出した入間市の入間少年相撲クラブ。稽古を取材すると、小中学生に「考えながら相撲を取ること」を強く求める西沢正夫総監督(55)の指導方針が見えた。

 「やらされる稽古は伸びていかない。勝つために自分がやるべきことを明確にして、努力を続けてほしい。大輝(北勝富士関)がまさにそうだった」

 身長一八〇センチ、体重一四〇キロ(全盛時)の西沢さんも相撲選手だった。明大中野中学三年のとき、後の横綱貴乃花関(現親方)らを育てた武井美男監督(故人)に見いだされた。華々しかったキャリアが一変したのは、高校二年の全国大会個人戦決勝。相手をつり上げて土俵際まで運び、「優勝だ」と思った瞬間、右膝靱帯(じんたい)がぶつりと切れた。

 「悔やんでも悔やみきれないが、このケガを境に落ちこぼれていったことが転機になった。絶頂のままでいたら指導者としての人生は歩めなかったと思う」

 つらくて仕方のなかった学生時代。当時は大嫌いだったが今は尊敬してやまない武井先生の教えが、後に子どもたちを教える際の糧になったのだという。

 故郷の入間市に、立ち上げた少年相撲クラブは今年、創立二十年を迎えた。並行して運営に携わる小学生向けの「わんぱく相撲入間大会」(毎年六月開催)も、参加者が千人を超える地域の一大イベントにまで成長した。

 「相撲のすの字もなかった町で、よくここまで来た。多くの方に助けていただいた。亡き斎藤の思いにも後押しされた…」

 十四年前に白血病で逝った斎藤峰章さん=享年(41)=は、西沢さんと幼稚園から大学まで同級生。「健全な青少年育成につながる」とわんぱく相撲開催を提案したのも斎藤さんだった。

 西沢さんは、斎藤さんが病床でしたためた手紙を大切に保管してある。「旅立っていくであろう私から、最高の友、西沢様へ」とあり、「すべて お願いします」と結ばれていた。

 「私には、入間の相撲を頼む、と読み取れます」。西沢さんは今も友の手紙を手に取り、気持ちを奮い立たせる。 (加藤木信夫)

<にしざわ・まさお> 1962年入間市生まれ。明大中野中3年で相撲を始め、同高2年の全国大会で団体優勝と個人準優勝。右膝の大けがなどを機に指導者に転じた。98年入間少年相撲クラブを設立、全国少年選手権の団体や全国中学選手権の団体・個人で優勝。生家の製茶業「もとじめ園」と、土俵の製作などを担う有限会社「もとじめ」の代表取締役。

 

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