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【埼玉】

風評でパン焼けない 大熊町から行田に避難の加村さん

避難直後からパン屋で働く加村さん=鴻巣市で

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 東日本大震災の発生から11日で7年。震災前、東京電力福島第一原発を支えたパン屋が福島県大熊町にあった。毎朝配達するパンは人気を集め、作業員らの腹を満たした。だが店は7年間営業をやめたまま。3代目店主の加村一美(かつみ)さん(68)は行田市で避難生活を送っている。 (牧野新)

 今も居住地域のほとんどが帰還困難区域に指定されている大熊町の「加村菓子店」。JR常磐線大野駅近くの店舗兼自宅は原発から五キロ圏内で、車で十分。配達係の加村さんの妹が数十個のパンが入ったケースを一時間ほどで空っぽにして帰ってくる。そんな日々が十年ほど続いた。

 ショッピングモールの進出で店が経営危機に陥ったこともある。それでも配達のおかげで耐えられた。「原発は町の生活を向上させた。どんな店でも東電とつながりがあった」

 震災翌日、避難していた小学校で「爆発音がした」と誰かが叫んだ。福島第一原発の事故。店を失い、故郷を追われた瞬間だった。放射能から逃れるため内陸へ。事故から四日後には行田市にたどり着いていた。帰りたい思いよりも逃げることに必死だった。

 そのまま町は全域避難に。当時六十一歳。仕事があるか不安だったが、知人の紹介で翌月から鴻巣市のパン屋「パン・ド・ノア」に就職。若い上司らと作業する日々を続けている。

震災後に加村さんが撮影した店=福島県大熊町で(撮影時期は不明)

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 大学卒業後、東京のパン屋や洋菓子店で修業した加村さん。大熊で作っていたメニューは今の店にも引き継がれている。「働けるだけでもありがたい。好きなパン作りができて恵まれている」と心から思う。

 大熊町の店は、帰還困難区域に再び居住できるようにする「特定復興再生拠点区域」にある。政府は二〇二二年に避難指示解除を目指している。その時は七十一歳。

 「大熊で店を再開したい気持ちはあるよ。でも原発がなくならないと食べ物を扱う商売はできない」。原発の町で作られたパンというだけで、悪い印象を持たれるのではと案じる。後継ぎもおらず、店の再開が現実的でないのも分かっている。

 それでも原発に頼らず、活気を取り戻した町でパンを焼いていたいと夢を抱いている。「この間ね、ドイツのパンの作り方を習ったんですよ。大熊の店にも並べたいな」

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◆県内避難者3671人(2月1日現在)

 県のまとめによると、東日本大震災によって県内に避難している人は二月一日現在で三千六百七十一人。昨年同時期より七百八十三人減ったが、今でも東北三県以外では東京都に次ぐ数の避難者がいる。

 福島県からが三千三百六人で大半を占め、宮城県から二百十四人、岩手県から百六人、その他の県から四十五人となっている。

 避難先の市町村別では、加須市が五百二十二人で最も多い。川口市が三百四十二人、さいたま市が二百八十人、越谷市が二百四十八人、春日部市が百八十七人と続く。

 

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