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【埼玉】

「基地の街」の歴史たどる 25日、和光で中條さん講演

キャンプドレイクの詳細図を手にする中條さん。当時の基地労働者らから聞き取った情報を書き込んだ=和光市で

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 終戦直後から1986年まで、和光、朝霞、新座の3市と東京都練馬区にまたがる広域に存在した米軍基地「キャンプドレイク」。地域住民にさまざまな影響を与えた基地の歴史を振り返り、平和の尊さをかみしめる講演会が25日、和光市中央公民館会議室(中央1)で行われる。 (加藤木信夫)

 和光市在住の駿河台大講師・中條(ちゅうじょう)克俊さん(61)が講演する。朝霞市立中学教諭だった九三年、「平和学習のためには教師が地域を知らなければ」との思いから、基地の調査を始めた。当時の新聞収集や、古くからの住民約二百人を訪ね歩くなどし、「君たちに伝えたい 朝霞、そこは基地の街だった」の一〜三巻(梨の木舎刊行、二〇〇六、一三、一七年)を出版した。

 中條さんによると、キャンプドレイクは米軍軍事情報団や偵察部隊が集まり「諜報(ちょうほう)の殿堂」と呼ばれた。朝鮮戦争やベトナム戦争への出兵者が化学・細菌兵器に対処するトレーニングを受ける地でもあった。敷地内には二〇〇〇年代初めまで薬品庫と「消火には水を使用するな」などと書かれた警告板があった。当時の基地のセキュリティーは厳重で、中條さんの聞き取り調査に応じた地元飲食店員は「出前を運ぶ際、ゲートでチェックを受けた後、司令部へ入る前に目隠しまでされた」と打ち明けたという。ゲート近くには米兵が利用する歓楽街もあり、約七十のバーや土産物店が軒を連ね「日本の上海」と呼ばれていた。

 中條さんは、米軍が制作したキャンプドレイクの詳細図を入手、当時の基地労働者らからの聞き取りを基にした情報を赤ペンで書き込んだ。基地内の下士官クラブでジャズの渡辺貞夫さんが演奏していたこと、ゴルフコースで歌手の江利チエミさんや俳優の京マチ子さんらがプレーしていたことなどを記した。

キャンプドレイクの航空写真(1974年撮影、国土交通省提供)

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 基地跡地は現在、二〇二〇年東京五輪の射撃会場になる陸上自衛隊朝霞駐屯地や地元の中高校、公園などに姿を変えた。

 国有地として管理されている跡地の一部には今も、学校教室ほどの大きさのクォンセット・ハット(かまぼこ型兵舎)数棟が残されている。中條さんは「カフェテリアとして活用すれば、子どもたちや地域住民のための平和学習の場になる」と訴える。中條さんは「占領下の日本の歴史、地域の歴史から平和のありがたさを見つめ直していただければ」と話した。

 講演会は午後一時半(一時開場)から。定員約百人で入場無料、予約不要。問い合わせは主催の和光市文化団体連合会の山田智好会長=電048(461)1213=へ。

 

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