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【埼玉】

山口六郎次の「駅伝魂」伝える 「第1回箱根」出場記念碑を除幕

山口六郎次の言葉が刻まれた記念碑

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 大正9(1920)年、第1回箱根駅伝に明治大学の選手として出場し、のちに衆院議員(旧埼玉2区)としてスポーツ振興に尽力した山口六郎次(1896〜1961年)の「駅伝魂」を後世に伝えようと、東松山市の体育関係者ら有志が、同市の箭弓(やきゅう)稲荷神社境内にある六郎次の胸像横に記念碑を建立。9日、約160人が参加して除幕式が行われた。 (中里宏)

 記念碑には六郎次の座右の銘だった「我らは人類の駅伝選手なり」の言葉が刻まれた。自分のベストを尽くして、次世代にたすきをつないでいく絆の大切さを訴えた言葉という。箱根駅伝で大東文化大を四度の総合優勝に導いた元監督で関東学生陸上競技連盟(関東学連)名誉会長の青葉昌幸さん(75)が揮毫(きごう)した。

 記念碑の計画は、箱根駅伝のコースを二カ月かけて一区ずつ走る「一人箱根駅伝」を二〇〇七年から始めた同市の稲原都三男(とみお)さん(71)の発案で始まった。稲原さんは〇八年の第八十四回箱根駅伝で、三校が無念の途中棄権となったのを見て、八十五回大会の完走祈願を計画。箭弓稲荷神社に協力を要請して、二十二校と学連選抜の計二十三のお守りを持ち、同年秋、「たすきが途切れることがないように」と祈願しながら「一人駅伝」を完走。二十三のお守りを当時、関東学連会長だった青葉さんに託した。

 このとき稲原さんを青葉さんに紹介したのが、県陸上競技協会顧問の中里協弘(やすひろ)さん(77)。中里さんは県立松山高校陸上部OBで、立教大では箱根駅伝七区に出場。有志でつくる記念碑建設委員会の委員長を引き受けた。除幕式には六郎次の三男の山口敏夫・元衆院議員も家族代表で参加した。

 青葉さんは「六郎次先生はこの言葉で私たちに何を伝えたかったのか、ずっと考えている。比企丘陵は長距離のトレーニングにふさわしい環境。長距離ランナーの聖地にということなら、私もできることをやり、六郎次先生の夢をかなえていきたい」と話していた。

 

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