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【スポーツ】

ソウル、バルセロナ… 物議醸した過去のマラソン代表選考

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 東京五輪に向けて日本代表の選考方法が見直されたマラソン。これまで選考過程が分かりづらく、何度も社会現象になるような物議を醸した歴史がある。

 事実上の一発勝負が問題になったのは1988年ソウル五輪。日本陸連が強化指定選手に福岡国際への出場を求め、1、2位の中山竹通、新宅雅也(現・永灯至、ひさとし)が代表を確実にした。しかし実績のあった瀬古利彦が左足を痛めて欠場。瀬古はびわ湖毎日を制して五輪切符を手にしたが、福岡の3位に劣るタイムで議論になった。

 92年バルセロナ五輪では世界選手権2位の山下佐知子、大阪国際で当時の日本最高を出した小鴨由水が当確。3番目を世界選手権4位の有森裕子と大阪国際2位の松野明美が争った。初マラソンで有森の記録を上回った松野が「私を選んでください」と記者会見を開いてアピールしたが落選。バルセロナでは有森が銀メダルを獲得した。

 高橋尚子が金メダルに輝いた2000年シドニー五輪も選考が注目された。世界選手権2位の市橋有里が内定して残り2枠。2時間22分台で優勝した東京国際の山口衛里、名古屋国際の高橋尚子が代表になり、大阪国際で2位の弘山晴美が同じ22分台をマークしながら涙をのんだ。

 選考過程の曖昧さがクローズアップされたのは04年アテネ五輪。世界選手権2位の野口みずきが内定。東京国際で日本選手最高2位の高橋尚子は平凡なタイムだったが、陸連側が実績で後押しすると見て、その後の選考レースを回避。しかし名古屋国際で優勝した土佐礼子、大阪国際を制した坂本直子が選ばれて世論が紛糾した。

 

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