東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > スポーツ > 紙面から > 11月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【スポーツ】

浦和、アジア王者奪還 サッカーACL決勝第2戦

浦和−アルヒラル 10年ぶり2度目のACL優勝を果たし、喜びを爆発させる堀監督(中央)と浦和イレブン=埼玉スタジアムで

写真

 アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)は25日、埼玉スタジアムでホームアンドアウェー方式の決勝第2戦が行われ、浦和がアルヒラル(サウジアラビア)を1−0で下し、2戦合計2−1で10年ぶり2度目の優勝を果たした。

 敵地の第1戦を1−1で引き分けた浦和は、0−0の後半43分に武藤のパスに反転して抜け出したラファエルシルバが第1戦に続き、ゴールを決めた。日本勢のACL制覇は2008年のG大阪以来、9年ぶり3度目。大会の最優秀選手にはMF柏木が選ばれた。

 12月6日(日本時間7日)からアラブ首長国連邦(UAE)で開催されるクラブワールドカップ(W杯)にアジア代表として出場する。

◆積極策一丸 10年ぶり歓喜

 大胆な戦略だった。第1戦で出場停止だったDFマウリシオをベンチに置き、第1戦と全く同じ先発のイレブン。だがMF青木1人をアンカーに置く4−1−4−1のシステムではなく、ボランチに青木と柏木を並べ、長沢をトップ下に出す4−2−3−1。これがはまった。

 「ホームなので積極的に前から取りにいくこと。前線でボールを保持する力を高めること」。堀監督はシステム変更をそう説明した。

 浦和の圧力が第1戦では攻めまくったアルヒラルのパスを寸断する。ボールを持ったとき、もう少し冷静さが欲しかったが、ボールをキープし、相手から奪い返そうとしたときの長沢の球際の強さが浦和に前への推進力を与えた。

 交代も際立っていた。後半、相手の圧力が高まってくると、ベンチに置いておいたマウリシオを投入してはね返す強さを増し、後半39分には1トップの興梠に代えてズラタンを投入、それまで左サイドでプレーしていたラファエルシルバを1トップに移した。ラファエルシルバが強さと速さを生かして中央を突破し、決勝点を決めたのはその4分後のことだった。

 現在の戦力を存分に生かし、まさに堀監督が掲げる「チーム一丸」でつかんだアジア制覇だった。 (大住良之=サッカージャーナリスト)

写真

◆ピッチ外支援 大舞台で結実

 ピッチ外のさまざまな取り組みも浦和の優勝を支えた。その一つがJリーグの日程変更だった。

 ACLが平日に開催される前週は、J1を金曜日に前倒しすることが可能。それでも浦和の場合はホーム開催を金曜にずらすと入場者が約1万〜1万5000人減り、約3000万円の減収が見込まれる。このため、一昨年までは経営判断で週末開催にこだわってきた。その方針を撤廃した淵田敬三社長は「絶対にアジアを取りにいくんだという意気込みを示すため」と説明する。選手のコンディションを優先して試合間隔を空け、今季は2試合を金曜開催した。

 アウェーの海外遠征には日本代表専属シェフの西芳照氏が同行。決勝第1戦の前は出場停止やベンチ外メンバーも連れてアラブ首長国連邦(UAE)で合宿を敢行し、チームの一体感を高めた。

 山道守彦強化本部長は「勝つためのコストアップならやらなくてはいけない。選手に対しクラブが本気であるというメッセージを出し続けることが重要」と力説する。支出は増えたが、決勝進出で日本サッカー協会から8000万円の報奨金、優勝賞金で300万ドル(約3億4000万円)を手にした。

 日本協会とともに遠征費補助などを行うJリーグの村井満チェアマンは「出場チームが投資できる環境が整い、もう罰ゲームのような感覚はない」と話した。

<浦和レッズ> 三菱重工が前身(1950年創部時は中日本重工)。日本リーグで4度優勝。Jリーグ発足時から参入。2000年にJ2に降格したが、1シーズンで復帰し、06年にJ1初優勝。05、06年度に天皇杯を連覇し、リーグ杯(ルヴァン杯)は03、16年に制覇。07年にACLで初優勝し、クラブW杯で3位。正式名称は浦和レッドダイヤモンズ。本拠地は埼玉スタジアム。

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報