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【スポーツ】

松井氏 最年少殿堂入り 金本・原氏らも選出

2009年11月、米大リーグのワールドシリーズで日本選手初のMVPに選ばれ、トロフィーを掲げるヤンキース時代の松井秀喜氏=ニューヨークで(共同)

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 野球殿堂博物館は15日、今年の殿堂入りのメンバーを発表し、競技者表彰のプレーヤー表彰で、巨人と米大リーグ、ヤンキースなどで日米通算507本塁打を放った松井秀喜氏、大リーグ記録を大きく上回る1492試合連続フルイニング出場のプロ野球記録を持つ阪神の金本知憲監督が選ばれた。エキスパート表彰では前巨人監督でリーグ優勝7度、日本一3度の原辰徳氏が選出された。松井氏、金本監督は候補1年目での選出。

 松井氏は43歳7カ月で野茂英雄氏の45歳4カ月を更新し、史上最年少での殿堂入り。候補1年目で選ばれるのは故ビクトル・スタルヒン氏、王貞治氏、野茂氏、工藤公康氏に続いて5、6人目。1年目の候補者が2人同時に選出されるのは初。

 アマ球界などが対象の特別表彰では愛知・中京商(現中京大中京高)で選手や監督として甲子園大会優勝を果たし、中京大の監督としても実績を残した故瀧正男氏が選出された。

 43歳7カ月という史上最年少での殿堂入りとなった松井秀喜氏は通知式を欠席し、書面で「長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督とのご縁がなければ、本日の名誉ある日を迎えられなかった」と恩師である長嶋氏への感謝をつづった。

 1992年のドラフト会議で4球団競合の末、当時監督だった長嶋氏がくじを引き当てる。これが師弟関係の始まりだった。「来る日も来る日もスイングをチェックしてくださり、その日々が打者として、野球選手としての大きな礎になった」

 東京ドームで、遠征先のホテルで。松井氏が繰り返す素振りを長嶋氏が見つめる。常に胸にあったのは「打撃は生き物だから、日々バットを振って自分自身と向き合い、常に最高の状態にしておかなくてはいけない」という教え。昭和を代表する大打者との二人三脚。地道な鍛錬を繰り返し、平成を代表する強打者への階段を一つずつ上がった。

 20代前半の若さで巨人の中軸を担い、3度の日本一に貢献。2003年に米大リーグのヤンキースに移籍すると、09年のワールドシリーズでは、3本塁打を放ってチームを世界一に導き、シリーズMVPに輝いた。この日、式典に代理出席した父昌雄さん(75)が語る。「中学、高校と夕食後に素振りをせずに寝たことは一度もなかった」。少年時代もプロ入り後も重ねた愚直な努力によって、また一つ球史に名を刻んだ。 (中川耕平)

 ホームラン打者として見る者をワクワクさせる打撃もさることながら、現役時代の松井秀喜さんを取材していて感心したのはファンを大切にするその姿勢だ。

 松井さんが強いこだわりを持っていたのが、試合に出続けることだった。2002年に退団するまで巨人で1250試合、ヤンキースでも06年5月のレッドソックス戦で左手首を骨折するまで518試合。連続試合出場は日米通算で1768試合まで伸びた。

 なぜ、そんなに出続けることにこだわるのか。松井さんの答えは明快だった。

 「ファンは毎日球場に来られるわけではない。1年に1度しか見に来られない人もいる。やっとの思いで観戦できた日に、僕が出なかったらホームランを楽しみにしていた子どもたちはがっかりする」

 ヤンキース移籍1年目。松井さんは毎日欠かさず、メディアの取材に応じた。打てた日も、打てなかった日も。話したくない日もあっただろうが、必ず自分の言葉で試合を振り返った。「記者の向こうにはファンがいるから」と。

 この日寄せたメッセージには「7月の授賞式にはファンの皆さまに直接お礼をお伝えできればと考えております」。ファンあってのプロ野球。トップ選手こそ、松井さんの姿勢を見習ってほしい。 (牧田幸夫)

◆次世代の4番打者育てて

 長嶋茂雄元巨人監督の話 (松井氏の殿堂入りは)かつての仲間としてとてもうれしく思います。ドラフトでくじを引き当てた時、運命のようなものを感じました。いつの日か指導者として次代の日本を背負える4番打者を育ててほしいと願っています。

 

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