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【スポーツ】

復興支えた温かな食事 サッカー日本代表専属シェフ・西芳照さん

「くっちぃーな」で従業員と話す西芳照さん=福島県広野町で

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 東日本大震災の発生から7年を迎える今年、サッカー日本代表の専属シェフ、西芳照さん(56)にとっては再出発の一年になる。かつての勤め先で、震災後は久しく東京電力福島第一原発事故の対応拠点だったサッカー練習施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町)が7月に一部再開するのに伴い、職場復帰が決まった。地元で別の店舗を営みながら、歩んできたすご腕の料理人は「食べる人を思ってつくることが、いかに大事か。改めて実感した」と振り返る。

 西さんは現在、ことし2月限りで閉店した福島県広野町のレストラン「アルパインローズ」の後片付けに追われている。震災前に総料理長を務めたJヴィレッジ内の飲食店と同じ名前の看板を掲げ、2011年11月に開いた店。名物だった日本代表の特大タペストリーを手に取り「こいつとも、お別れだね」といとおしそうに見つめた。

 Jヴィレッジでは合宿用食堂「ハーフタイム」でも総料理長として腕をふるった。原発事故で東京に避難したが、故郷への思いが募り帰郷。11年9月にハーフタイムで原発作業員に食事を出す仕事を始め、次いでアルパインローズ、16年3月には広野町の商業施設内にフードコート「くっちぃーな」も開店した。

 「故郷に恩返しを」という意欲とは裏腹に、経営は順風満帆ではなかった。ハーフタイムでは料金を500円に抑えつつ、ご飯、みそ汁、日替わりのおかず全てを食べ放題にした。当初は好調だったが、度重なる作業員の宿泊拠点の移動が響いて客足が遠のき、採算が合わず食べ放題の中止や値上げに踏み切ったことも。Jヴィレッジが原発事故の対応拠点としての役目を終え、一昨年にはハーフタイムは閉鎖となった。アルパインローズも作業員の客が減り、最近の売り上げは最盛期の3割程度に落ち込んだ。

 それでも、長く踏ん張ってこられたのは、震災直後の夕食時の記憶が心の支えになった。原発事故の全容が分からず、命懸けの仕事を終えた作業員の険しい顔が、湯気の立つみそ汁に口を付けた途端にほどけた。レトルト食品やカップ麺に慣れた体に染み「また、無事に帰ってこられたな」と誰彼なくつぶやく。そんな本音を耳にするたび「食事は人を勇気づけ、気持ちを切り替えることができる。心を込めれば、伝わる」と料理人としての純粋な喜びを知った。

 くっちぃーなの営業は続けてきたが、2店の収入がなくなり「一番厳しい」。ただ、広野町には住宅や商業施設が次々に建ち、住民の帰還率は8割を超えた。「人が戻ってきた。うれしいよね」と震災の爪痕が色濃く残るころから食で作業員や町民を支え、復興に貢献してきたことには誇りを感じる。

 復職が決まったJヴィレッジでは、ハーフタイムとアルパインローズの商品開発などを手掛けるという。Jヴィレッジは20年東京五輪で、男女のサッカー日本代表が事前合宿地として使う。「(震災から再開までが)ハーフタイムなら後半はどうなるか。作戦を練って頑張ります」。故郷で選手の夢をサポートする日々が再び始まる。 (対比地貴浩)

<にし・よしてる> 1962年、福島県南相馬市生まれ。京懐石の料理店などで修業し、97年開設の「Jヴィレッジ」の総料理長だった2004年3月からサッカー日本代表専属シェフ。以来、ワールドカップ(W杯)など海外遠征に帯同。6月開幕のW杯ロシア大会でも食事を提供する。昨年は浦和、ことしは川崎のアジア・チャンピオンズリーグの遠征に同行するなど、J1クラブでも活動している。

 

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