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【スポーツ】

「江夏の21球」支えた気配り 元広島・衣笠祥雄さん死去

1975年10月、リーグ初優勝を飾り祝勝会で大喜びの衣笠祥雄選手(左)、山本浩二選手(右)と古葉竹識監督=東京都内のホテルで

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 屈強な体と不屈の精神で「鉄人」の異名をとった衣笠さんだが、人の心、動きを的確に酌み取る細やかな一面も備えていた。その繊細さが生んだのが、球史に残る名場面「江夏の21球」だ。

 広島が初の日本一に輝いた1979年の近鉄との日本シリーズ第7戦。広島1点リードの九回裏、リリーフエースの江夏豊さんが無死満塁の大ピンチを迎えた。広島ベンチは延長に備えてブルペンの投手に準備をさせる。これが孤高の左腕のプライドに触れた。「このやろう。何で俺の後に投手をつくるんだ」

 一打出れば逆転サヨナラで敗退という極限の状況で、一塁を守っていた衣笠さんだけが異変を察知し、マウンドに歩み寄った。「気にするな。この試合が終わって、おまえがやめるなら俺も付き合ってやる」。そんな声をかけられ落ち着きを取り戻した江夏さんは、カーブの握りのままとっさにスクイズを外すなど、最高の投球術を発揮しピンチを切り抜けた。

 「江夏の動揺を抑えたかった。どんな言葉が欲しいだろうと考えた。どうしても勝ちたかったから」と衣笠さんは振り返っていた。

 江夏さんは後に「あの苦しい場面で、自分の気持ちを理解してくれるやつが一人いたんだということがうれしかった。あいつがいてくれたおかげで難を逃れた」と述懐した。

◆「早すぎる」江夏さん沈痛

 衣笠さんの訃報を受け、江夏豊さん(69)は24日、中止となったヤクルト−阪神のテレビ解説のため訪れていた松山空港で取材に応じた。親友の死に「いずれ誰しもが通る道。だけど、早過ぎた」と沈痛な面持ちだった。

 19日のDeNA−巨人をテレビで解説した衣笠さんの声がかすれていたことから電話で「声が出とらんぞ。無理するな」と気遣った。衣笠さんは「分かった。分かった」と返したという。

 「江夏の21球」では衣笠さんの気配りに助けられた。「ちょっとの間(天国で)1人で寂しいとは思うけど、すぐに追い掛けるから」と悲しみをこらえながら話した。

 

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