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【スポーツ】

尊敬の心 日本の宝 ラグビー日本代表 初の外国出身主将マコーミックさん

ラグビーの日本代表で、外国出身選手として初めて主将を務めたアンドリュー・マコーミックさん=大阪市北区で

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 今年9月に開幕するラグビーW杯日本大会へ向け、日本代表は4日からの合宿でW杯イヤーを始動させた。ちょうど20年前、1999年のW杯で、外国出身選手として初めて日本の主将に就き、チームを率いたのがアンドリュー・マコーミックさん(52)。前例のなかった「外国出身主将」で批判もされたというが「(自分が)外国人だと考えたことはない。チームを言葉でも背中でも引っ張った」。日本の良さを理解し、細やかな心配りで桜のジャージー集団をまとめ上げた好漢が、第二の母国とも言える日本でのW杯を前に当時を振り返った。 (対比地貴浩)

 98年2月。日本選抜として強豪のオーストラリア首都圏代表戦に臨む親善試合。メンバー表の自身の背番号13に、主将を示す丸印が記されていた。それまでの試合は12番の選手が担っていたため、「間違いだと思った」という。その試合で、事実上の代表主将としての初陣を飾った。

 当時の平尾誠二監督(故人)から告げられた起用の理由は「一番いい選手だから」。ミスターラグビーと称されて自らもW杯に出場し、常に世界を意識して闘っていた指揮官にとって、主将を担う選手の国籍は問題ではなかったようだ。後に平尾さんは「(周囲から)えらい文句を言われた」と振り返ったというが、どれだけ非難を浴びても方針を変えなかった。

 「新聞や雑誌は読んでいなかった」というマコーミックさんは、自らの主将就任にまつわる雑音は気にせず、重責を果たそうと努めた。チームをまとめる上では「日本文化」に重きを置いた。「日本の素晴らしいところは他者へのリスペクトの心。他国のまねをしても勝てない」

 たとえば練習での給水。他の選手に先に飲ませて、自分は後に回る気遣いを見せた。一方で、ドリンクの入った容器をスタッフに返さずに投げ捨てた選手には、声を荒らげて注意した。「小さいことが大事。丁寧なプレーにもつながる」。繊細な心配りで信頼関係を深め、他者への敬意に基づく一体感のある集団を目指した。

 すでに3年前には、所属していた東芝府中(現東芝)でチーム初の外国出身の主将になっていた。その頃、マコーミックさんはマウスピースを新調。それまでのものでは日本語の発音が不安定だったため、着けたままでもより自由に舌を動かせる「極薄」の特注品を用意した。親しい選手には「死ぬまでやる」「たたきのめそう」などの俗語を学び、選手の心を鼓舞した。東芝府中での経験は、日本代表でも役立った。

 数カ月の合宿も組んで強化する現在と比べ、当時の日本代表の活動期間はとても短かった。主将として臨んだ99年のW杯は、残念ながら3戦全敗で1次リーグ敗退。結果は残せなかったが、マコーミックさんは、国籍の違う選手が集うチームの主将を外国出身選手が務めるという、日本にとっては例のない試みに先鞭(せんべん)をつけた。

 当時の日本代表で外国出身選手は30人中6人だったが、2015年W杯では31人中11人。多国籍化が進む中、チームをまとめるリーダーの役割もまた、増している。今年のW杯では前回大会に続き、マコーミックさんと同じニュージーランド出身のリーチ・マイケル(30)=東芝=が主将を務める見込みだ。

 日本開催のため、自国チームの主将が前回とは比較にならない重圧に襲われるのは必至。同郷の後輩に対してマコーミックさんは「助言できる立場にない」と謙遜しつつ、温かいまなざしを送る。「(今の日本代表は)以前の代表に足りなかった実力と自信を持っている。きついときこそ、自分を信じてほしい」

    ◇

 1967年2月5日、ニュージーランド生まれ。同国のカンタベリー州代表などで活躍した後、93年に東芝府中に加入。96年シーズンから日本選手権3連覇を達成。同年、日本代表にも初選出されキャップ数は25。東芝府中での現役引退後は同チームやNTTドコモ、摂南大などで指導者を歴任した。

 

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