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【望 〜都の空から】

秋風(4)立川 激動の丘 花盛り

多摩川の清流、広大な昭和記念公園の緑…。基地の街・立川の印象は薄らぎ、古き武蔵野の面影を感じられる=東京都日野市上空で、本社ヘリ「おおづる」から(淡路久喜撮影)

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 南に多摩川、北に玉川上水が流れる立川市。甲州街道沿いの一寒村だった地域は、鉄道と飛行場により発展した。

 武蔵野台地を一直線に貫いて新宿と結ぶ鉄道ができたのは1889(明治22)年。1922(大正11)年には陸軍の立川飛行場が開設され、多くの軍需工場も進出した。戦後は米軍が進駐し、基地の街になった。しかし砂川闘争などを経て米軍基地拡張は中止され、77年に基地は全面返還された。

 跡地は、国営昭和記念公園と陸上自衛隊駐屯地などになり、商業施設もできた。駅周辺のにぎわいは、いまや都心のターミナルと変わらない。JR東日本によると、昨年度の立川駅の乗降客数は1日31万人と多摩地域で最も多く、10年間で約6万人増加した。名実ともに多摩の拠点都市になった。

 砂川闘争に参加し、市議も務めた島田清作さん(72)は「基地が拡張されていたら、街が分断されていたかもしれない。砂川闘争があったから、今の立川があると思う」と振り返る。

 激動の舞台だった昭和記念公園の丘では、550万本もあるコスモスが花盛りだ。もうじき色づき始めるイチョウ並木とともに、街の発展を見守っている。 (萩原誠)

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