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【栃木】

碓井要作を振り返る 足尾鉱毒など田中正造と共に歩む 小山で企画展

田中正造からの書簡も並ぶ企画展の会場=小山市で

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 足尾鉱毒事件に生涯をささげた田中正造と共に、水害問題などに取り組んだ碓井要作(うすいようさく)(1871〜1934年)を振り返る企画展「碓井要作−田中正造とともに歩んだ蚕種家(さんしゅか)」が、小山市の市立博物館で開かれている。本業の蚕種業の発展に尽力しただけではなく政界にも進出、さらに、漢詩でも才能を発揮したが、晩年は苦境の連続だった。5月27日まで。 (原田拓哉)

 小山市の生井地区で生まれた要作の生家は、蚕の卵を生産する蚕種業。要作は、地元の蚕種業の初代組合長を務めるなど、業界の発展に奔走した。日本の主要輸出品として生糸の生産を支えたが、米国が中国産の輸入を始めたことで、業界が不況に陥り、碓井家の経済状況も悪化した。

 一九〇七年には、県議選に挑戦して当選し、二期連続で県議を務めた。この間、衆院議員だった正造と渡良瀬川の河川改修計画や旧谷中村の廃村の反対運動に情熱を傾けた。ただ、土木疑獄事件に絡んで県議を辞職。晩年、再び政界を目指したが落選を繰り返した。正造とは、正造の本葬儀の後に営まれた分葬儀を執行するなど親交が深かった。

 一方、漢詩の世界では、雅号「石泉」として創作活動を続け、言葉の選び方、韻の踏み方、力強い筆運びなどが、専門家からも評価を受けている。

 企画展では、蚕種・養蚕に使われた道具や、業界の発展に尽くした文書、正造との間で交わされた書簡などを展示。県議選の投票後に入院し、落選を病床で知り、支援者らへの感謝の気持ちなどをつづった「絶筆詩」も紹介している。正造関連では、市内で保存されていた初公開の書簡もある。

 学芸員の尾上仁美さんは「産業の発展に貢献し、郷土愛にあふれて、人権擁護に尽くした。不遇な人生だったが、それも詩という芸術に残した」と話している。

 原則月曜と第四金曜日が休館。入館料は大人二百円、大学・高校生百円。

 

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