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【栃木】

鳥居家のお茶、復活目指す 「赤御堂茶」の名で新名物へ

川俣さん(左)方に残っていた茶畑で、栽培について話す川俣さんと鈴木さん=壬生町で

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 壬生町上稲葉の赤御堂(あかみどう)地区に明治時代、製茶工場があったとされる史実に基づき、地元でお茶作りを復活させる取り組みが進んでいる。地域おこしの一環で、町歴史民俗資料館の学芸員らが文献調査やフィールドワークを通じて、埋もれていた歴史に光を当てた。物語性を備えたお土産品として「赤御堂茶」の名で商品化しようと、期待をふくらませる。 (小川直人)

 最後の壬生藩主・鳥居忠宝(ただとみ)(一八四五〜八五年)は七〇(明治三)年に赤御堂に隠居。廃藩置県で職を失った士族のためにお茶の生産に乗り出し、七八(同十一)年に製茶工場「共産社」を設立した。

 最盛期には八・六ヘクタールの茶畑があり、工場では九百人が働いて米国に年間約二十トンを輸出した。だが、農産物価格の下落から経営は悪化。八七(同二十)年ごろ閉鎖されたとされる。

 資料館の学芸員中野正人さん(59)によると、県内の産物を記録した当時の県の資料で、共産社の製茶事業が確認できる。それでも、残された資料は少なく、工場があった場所も分からないという。

 鳥居家は一七一二年に近江国水口藩(滋賀県甲賀市)から壬生藩に国替えになった。甲賀地域は近江茶の産地として知られる。短期間で輸出するまでに成長させたことから、中野さんは「お茶の専門家を関係のある近江などから招いた可能性はある」と分析する。

 元町職員の鈴木良男さん(65)による住民への聞き取り調査では、川俣ふじさん(92)方に茶畑の一部が残されていることが分かった。約三十年前まで茶葉を収穫していたという川俣さんは「五人ぐらいの人に来てもらい、十日間ほどで収穫した。またお茶ができたら懐かしい」と話す。

 鈴木さんらは五月中旬、川俣さん方から摘み取った茶葉を使った緑茶の試飲会を開いた。新たな特産品を作る同町のブランド化事業も活用し、お茶の商品化を目指すという。

 「お茶作りを知っていたのは数人のお年寄りだけで、思ったより少なかった」と歴史の風化を心配する鈴木さん。「忘れ去られてしまったらもったいない。物語のある良いお土産品になる」と意気込んでいる。

 

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