東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 栃木 > 記事一覧 > 7月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【栃木】

<つなぐ 戦後73年>伝える小金井空襲 JR駅前で慰霊祭 県内外から70人

意見を交わす空襲体験者と参加者=下野市で

写真

 一九四五年七月、旧国分寺村(現下野市)の小金井駅で列車が米戦闘機に銃撃されて多数の犠牲者を出した「小金井空襲」の慰霊祭が二十九日、現場となったJR小金井駅前で開かれた。後に建立された石碑の前で市民らが手を合わせ、平和への誓いを新たにした。(高橋淳)

 小金井空襲は終戦間近の四五年七月二十八日正午ごろに起きた。東京方面に向かっていた列車が小金井駅の手前から停車後にかけて襲われ、乗客や周辺にいた計三十一人が犠牲となり、七十〜八十人が負傷したとされる。駅には当時、戦死者の遺骨を出迎えるために、多くの人が集まっていたという。

 郷土で起きた戦災の記憶を後世に受け継ごうと、元国分寺町長の若林英二(ひでじ)さん(94)ら有志が中心となって、長年にわたり毎年七月二十八日に合わせて慰霊祭を続けてきた。

 今年は空襲の体験者を含めて県内外から約七十人が参加。一九九八年に建立された石碑「平和の礎(いしじ)」の前で焼香し、目を閉じて思いを巡らせた。襲撃時、列車に乗っていた茨城県筑西市の僧侶横井千春さん(88)と長男高明(こうめい)さん(57)が読経して霊を慰めた。

 慰霊祭の後、近くのオアシスポッポ館に会場を移し、横井さんら当時を知る人たちが体験を語った。

JR小金井駅前に建てられた石碑の前で手を合わせる参加者

写真

 横井さんは学徒動員で働いていた宇都宮市から茨城に帰省する途中だったといい、「襲撃で車内は阿鼻(あび)叫喚と化した」と振り返った。無残な状態となった遺体が脳裏に焼き付いていると明かし、「こんなことは言いたくはないが、体験者として事実を伝えなければならない」と言葉を絞りだした。

 静かに耳を傾けていた参加者たちは「こういう出来事を風化させないことが私たちの大きな使命だ」などと感想を話した。

 慰霊祭実行委員会の会長を務めた星野平吉さん(67)=小山市=は「七十三年がたち、惨禍を受け継いでいくことが難しくなっている。平和を守っていくために、犠牲者や遺族、地域の気持ちを大切にして、これからも伝えていきたい」と話した。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報