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【栃木】

<奥島孝康のさらに向こうへ>高校野球100回大会 少しも冷めない甲子園熱

 また高校野球の熱い夏がやってきた。甲子園大会という魔の季節である。しかも、今大会は第百回大会という記念すべき大会である。栃木県代表の健闘を祈りたい。

 小山市周辺には、作新学院、桐生第一、前橋育英、常総学院、さらにわが白鴎大足利等々、古豪、強豪がひしめいている。この北関東の地で生き残ることは至難の業といわねばならない。過酷な青春である。

 甲子園大会(といっても、甲子園元年は第十回大会からのことであるが)は、一九一五(大正四)年に大阪の豊中グラウンドで始まった。

 それまで「野球害悪論」を熱心に主張し続けて、学生野球反対論者の朝日新聞が、なぜか一転して「全国中等学校優勝野球大会」を結成して代表十校による選手権大会を開催したのであるから、世間の人は何事かと驚いた。

 しかし、朝日の変節は的中した。第一回大会には七十三校しか参加しなかったが、年を追うにつれ参加校が増え、第二十回大会ではついに戦前最高の六百七十五校が参加した。この大会に出場したのが打撃の神様川上哲治と、伝説の投手沢村栄治であった。

 ところが、この盛況の甲子園大会が第二次世界大戦の勃発により五年間にわたり中断したのである。

 戦前最後の甲子園大会に当たる四一(昭和十六)年の第二十七回大会は、「全日本中等学校体育競技総力大会」に吸収され、本大会は、神戸の米騒動により中止となった第四回大会と同様中止となり、歴史は大きく暗転し、その青春は抹殺されたのである。

 戦後、関係者の努力で四六(昭和二十一)年にいち早く再開された第二十八回大会は、青春の激情のほとばしりといってよい喜びの祭典となった。

 加えて、学制の改正により「全国高等学校野球選手権大会」となった第三十回大会は、千二百五十六校が参加、代表二十三校で争われ、小倉高校が優勝した。大会歌「栄冠は君に輝く」はこのとき発表された。

 ところで、第百回大会を目前にしている高野連を悩ましているのが登録選手数の減少であるという。

 ぼくが会長であった二〇一四年の登録選手数は十七万人を超え、史上最高となった。翌年ぼくは会長を辞任したが、この年から登録選手数はわずかに減り始めた。

 第百回大会の今年は十六万人台を切っている。少子化の時代であるばかりか、これまでが多すぎたのである。

 ぼくの見るところ、甲子園熱は少しも冷めていないばかりか、逆に、信仰心にも似た憧憬(どうけい)の念すら感じられる。学校数は毎年減り続けてはいるが、今でもほぼ四千校前後が参加している。全高校数から女子高を引いた数に近い。

 肝心なことは、高校球児の「全力プレー」(ファイト)、「正々堂々と競う気力」(フェアプレー)、そして、「固い連帯感」(フレンドシップ)の「三F」で結びつけられた「青春」が健在するかぎり、高校野球はその輝きを失うことはない。

 高見順の詩となった「青春の健在」とはそういうものではないのか。

 朝日の前甲子園センター長であった高倉哲也氏は、「甲子園とは勝者と敗者を分ける場ではない。そこは勇者と勇者を育てる場なのだ」と言う。ぼくも心からそのとおりだと思う。

 甲子園にこのようなエールを送るのは、甲子園がもはや勝敗を超越し神話化した高校野球の青春を讃(たた)えるからにほかならない。甲子園の青春はさらに向こうへ向かう可能性を秘めている。楽しみだ。

<おくしま・たかやす> 愛媛県日吉村(現鬼北町)生まれ。早稲田大第一法学部卒。同大第14代総長。同大ラグビー部長、探検部長、日本私立大学連盟会長、日本高校野球連盟(高野連)会長などを歴任。ボーイスカウト日本連盟理事長、2013年から白鴎大学長。79歳。

 

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