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【栃木】

田中正造を研究、佐野高SGHクラブ国内班 あす市文化会館で活動報告

北海道佐呂間町のフィールドワークを発表する佐野高SGHクラブ国内班メンバー=佐野市で

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 公害運動に取り組んだ佐野市出身の偉人、田中正造の研究を続ける佐野高校の生徒らが北海道佐呂間町を訪れてフィールドワークを行った。町は百七年前、足尾銅山鉱毒事件で廃村となった谷中村民らが移民した地。リーダーの新井康平君(16)=二年=は「大地に整備が行き届いた畑が広がっていた。移民者の努力が今、生きていると思った」と振り返った。十三日の「田中正造の日−環境フェスタ」で活動報告する。 (梅村武史)

 同校は国際的なリーダーを育成する文部科学省「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」の指定校。同校SGHクラブ国内班の八人は八月上旬、「もう一つの栃木」といわれる佐呂間町字(あざ)栃木に入って栃木公民館、栃木神社などを巡り、移民者の子孫や関係者にインタビューした。

 佐野市から北東へ約千キロ。人口約五千三百人の佐呂間町はオホーツク海に面した道東地区にある。一九一一(明治四十四)年、谷中村を含む渡良瀬川流域町村民は北海道への移住をあっせんされ、第一陣で六十六戸約二百四十人が集団移住した。現地は三方を山に囲まれた原野で、寒さとヒグマの襲来におびえながらの開墾だったという。

 移民四世の阿部隆文さん(49)から話を聴いた秋野恵理さん(15)=一年=は「移民者は日当たりがいい肥沃(ひよく)な地という話を信じて来たという。さぞ悲しかったでしょう」。大嶋佑佳(ゆか)さん(16)=二年=は川根章夫町長との懇談に触れ、「正造の偉大さを口にされた。こんなに遠い地でも知られていて、うれしかった」。高橋くるみさん(17)=同=は「牧場の大きさが想像以上。昔の栃木の人は頑張ったんだなと思った」。

 現在、残る移民世帯は三戸のみ。町は過疎化に悩んでいるという。安生温大(あんじょうはるき)君(17)=同=は「移民から百周年(二〇一一年)の節目に佐野市との交流が始まったそうです。もっと交流が深まるといい」。

 茂木千紘(ちひろ)さん(15)=一年=は「ホタテ、カキを養殖しているサロマ湖は本当に美しい。佐野市民にぜひ見てほしい」と話していた。

 発表では、フィールドワーク報告に加え、住民の移住を余儀なくされたという点で共通する福島原発事故と足尾鉱毒事件を比較し、提言も行う。「環境フェスタ」は十三日午後一時半から佐野市浅沼町の市文化会館小ホールで開かれる。入場無料。発表は午後二時五十五分ごろからの予定。

 ◇ 

 十二日は佐野市が制定した「田中正造の日」。正造の本葬が一九一三年十月十二日、同市の「惣宗(そうしゅう)寺」で営まれたことにちなむ。県指定史跡「田中正造旧宅」(小中町)が臨時開館し、入場無料に。正造の自伝や日記、書簡、遺品など約一万点の資料を収蔵する市郷土博物館(大橋町)も入館無料になる。

 

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