東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 東京 > 記事一覧 > 1月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【東京】

<東京SAKE物語>(5) 切子が語る酒の魅力

江戸切子の酒器に模様のカットを施す華硝3代目の熊倉隆行さん=江東区で

写真

 なめらかな曲線のカットが施された、水色のぐい飲み。日本酒を注ぐと、ガラスの表面がきらりと輝きを増し、ぜいたくな気分を演出してくれる。

 「このお酒はすっきりとした飲み口。柔らかく、まろやかな味わいを切子で表現しました」。江東区亀戸にある「江戸切子の店華硝(はなしょう)」の企画担当熊倉千砂都(ちさと)さん(41)が、「夢の香純米吟醸」(奥の松酒造、福島県二本松市)をイメージした酒器の説明をしてくれた。

 華硝は昨年十一〜十二月、新しい酒の楽しみ方を提案しようと中央区日本橋本町の直営店で「日本のお酒から発想する江戸切子の器展」を開いた。岩手や宮城、京都、香川まで全国二十四銘柄の日本酒の味を表現した酒器を制作。紅色、瑠璃色、ぶどう色といった伝統色から桜色、白黒など色とりどりのぐい飲み、杯、グラスを酒瓶と一緒に展示した。

 「お客さんに『この酒器にはこのお酒が合います』と薦めるのではなく、酒に合わせて酒器を作る逆転の発想。酒蔵ごとに歴史や味が異なる日本酒の魅力や個性を切子で表現できたら」と千砂都さんは狙いを話す。

 制作する前、職人自らさまざまな形の酒器でそれぞれの銘柄を飲み比べ、デザインに生かした。千砂都さんの弟で、華硝三代目の隆行さん(37)は「酒器を作っている私たちも、日本酒のことを実はあまり知らなかった。器の形や色によって味や印象がこんなに変わるのかと驚いた」と振り返る。例えば先がすぼまったぐい飲みは、口を付けた瞬間、中に閉じ込められていた香りが一気に広がる感じがした。

 華硝が酒蔵も巻き込んで新たな戦略を練る背景には、「ものを作るだけでは職人の自己満足。楽しみ方まで含めて伝えないと生き残っていけない」(千砂都さん)との危機感がある。

 消費量が減っている日本酒同様、江戸切子など伝統工芸の世界も先行きは楽観視できない。五十四事業所が加入する江戸切子協同組合(江東区)によると、昭和四十年代のピーク時に約七百人いた職人は百人ほどに減少。そのうち職人が一〜二人の事業所が半数以上を占め、七人を抱える華硝が最大規模という。

 華硝で職人になって四年目の小坂衆洋(ともひろ)さん(27)は「江戸切子も日本酒も、触れる機会を増やせば良さが分かってもらえる」と強調する。小坂さん自身、日本酒は辛いイメージがあって苦手だったが、今回の飲み比べで初めておいしいと思えた。自身の作品を紹介している、写真・動画共有アプリ「Instagram(インスタグラム)」には、「欲しい」「どこで買えますか?」といった反応が寄せられている。

 展示会は、一点一万〜十万円の酒器が目標売り上げを早々に達成するほど好評で、北海道など遠方からの来場者もいた。華硝は今後も毎月、日本酒を数銘柄ずつ取り上げて酒器の制作、展示を続けることにした。

 千砂都さんは「お客さんに、お酒のことも知ってもらえた」と手応えを語る。互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、販路を広げていく。「業界の枠を超えて挑戦し続けてこそ、伝統が未来へとつながっていくんだと思います」 (奥野斐)

 =おわり

 <江戸切子> 江東区を中心に都内や近郊で作られるガラス工芸品。江戸後期に現在の日本橋周辺で始まり、ガラス製造業者が原料などを運ぶのに便利な川の近くに、切子の工房も集まったとされる。透明ガラスや、色を薄くかぶせた色被(いろきせ)ガラスを使い、表面にカットを施す。代表的な文様は、魚の卵をモチーフにした「魚子(ななこ)」など十数種類ある。1985年に都の伝統工芸品に、2002年に国の伝統的工芸品に指定されている。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報