東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 東京 > 記事一覧 > 8月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【東京】

<マンガ家たちの東京物語> (1)藤子不二雄(森下)

隅田川と清洲橋(中野晴行さん撮影)

写真

 戦後、復興から経済成長に向かっていた東京は、漫画にとっても熱い青春の舞台であった。現在の漫画大国・ニッポンを生んだあの日の伝説の地を、マンガ研究家の中野晴行さんが探訪した。 (随時掲載)

 都営地下鉄・森下駅を降りて清澄通りを南に歩くと、高橋(たかばし)のらくろードという商店街がある。

 高橋夜店通りが元々の名だが、一九九九年に通りにある江東区森下文化センター内に戦前の人気マンガ「のらくろ」の作者・田河水泡(たがわすいほう)の遺品などを展示する「田河水泡・のらくろ館」が併設されたのを機に、のらくろをシンボルにした商店街活性化を目指してつけた愛称だ。実は、江東区はマンガと縁が深い町なのだ。

 デビュー間もない藤子不二雄(ふじこふじお)(A)と藤子(ふじこ)・F・不二雄のコンビが、富山県から上京したのは五四年六月。はじめに下宿したのは、森下にあった(A)の遠い親戚の家だった。家賃は二人で一万円。二畳ひと間。三食付きという条件。最初の夕食はカレー。地元・深川名物のアサリが入っていたという。

 (A)の自伝的作品「まんが道」には、近所を散策した主人公二人が隅田川に架かる清洲橋の辺りを歩く場面がある。その場所を探して、清澄通りを西に渡った。

写真

 地名は森下から常盤に、のらくろードも深川芭蕉(ばしょう)通りに変わる。芭蕉記念館や芭蕉稲荷神社がある松尾芭蕉ゆかりの地だ。護岸から見る清洲橋は変わらないが、後ろの風景はずいぶん変わってしまった。高層ビルが立ち並び、橋が小さく感じられる。

 二人は秋に、豊島区椎名町(現・南長崎)のトキワ荘に引っ越し、森下にいたのは半年足らず。だが、マンガ家人生の第一歩は間違いなくこの墨東の下町から始まったのだ。(敬称略、マンガ研究家)

<藤子不二雄(A)(1934〜)> 代表作に「忍者ハットリくん」「怪物くん」「まんが道」など。

<藤子・F・不二雄(1933〜96年)> 代表作に「ドラえもん」「キテレツ大百科」「エスパー魔美」など。

<なかの・はるゆき> 1954年生まれ、大阪府出身。漫画の研究、編集などを手掛ける。京都精華大客員教授。著書に「謎のマンガ家・酒井七馬伝」「マンガ進化論」など。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】

PR情報



ピックアップ
Recommended by