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【東京】

<ひと ゆめ みらい> 東大和・戦災変電所を保存する会会長 小須田広利さん(71)=東大和市

旧日立航空機変電所の前で平和の大切さを語る小須田広利さん=東大和市で

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 「戦時中、この変電所周辺は米軍の空襲に見舞われ、市民ら百人以上が犠牲になった。平和や命の大切さを考えるきっかけにしてもらうため、後世に伝えていかなければならない」

 東大和市の都立東大和南公園の一角に、コンクリートの外壁に空襲による無数の穴が残る旧日立航空機変電所がある。保存と活用に取り組む「東大和・戦災変電所を保存する会」会長の小須田広利さん(71)は、そう力を込めた。

 長野県佐久市生まれ。東洋大工学部建築学科を卒業後、建築家石山修武さんの設計事務所で働き、四十二歳で独立した。一九九二年、地元の市民団体「東大和の戦災建造物の保存を求める市民の会」が保存方法のアイデアを公募しているのを知り、提案したのをきっかけに同会メンバーとなった。「そこで変電所の歴史を学び、平和の尊さをかみしめた」

 変電所は三八年、東京瓦斯(がす)電気工業(翌年に日立航空機に変更)立川工場に建設され、航空機のエンジン製造工場に送電する役割を果たした。第二次大戦末期、ほかの軍需工場と同様に米軍の標的となり、四五年二〜四月の計三回の空襲で、従業員や動員学生、周辺住民ら百十一人が亡くなった。

 機銃掃射に加え、B29爆撃機が投下した爆弾は千八百発以上とされ、工場の八割は破壊された。変電所は、窓枠などが吹き飛ばされたが、致命的な損傷は受けずに残った。鉄筋コンクリート造り二階建て、幅約十八メートル、高さ約九メートル。穴の一カ所は厚さ約二十センチの壁を貫通している。戦後も所有する企業を変えながら、建物はそのままに九三年まで稼働していた。

 一方で、八一年に公民館講座の受講者らが結成した「東大和の戦争と郷土史研究会」や、同じメンバーらが九一年に設立した「市民の会」が保存運動に取り組んできた。東大和市は九五年、企業から譲渡された変電所を市の文化財に指定した。「いくつもの奇跡と努力によって、今も建物が残っているんです」

 その後、両会は解散や休止状態になっていたが、戦後七十年を機に「東大和・戦災変電所を保存する会」をつくり、活動を再開。今春、変電所の歴史や保存運動について記した「戦災変電所の奇跡」を出版した。「これからは、地元の小学校での講演などを通して、子どもたちに歴史と平和の大切さを伝えていきたい」 (服部展和)

      ◇

 旧日立航空機変電所は毎月第2日曜の午後1〜4時、無料で一般公開する。問い合わせは市立郷土博物館=電042(567)4800=へ。保存する会が出版した「戦災変電所の奇跡」は1部1000円で、売り上げの一部を市に寄付。問い合わせは小須田さん=電042(562)5425=へ。老朽化が進む変電所の修復や耐震化に約2億円かかるとみられ、市はふるさと納税での寄付を募っている。問い合わせは市総務管財課=電042(563)2111(代表)=へ。

 

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