東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 東京 > 記事一覧 > 10月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【東京】

<ニュース読者発>本門寺から火の粉 池上の空襲や疎開体験語る 神奈川の清水谷子さん

卒業した池上小学校の前で語る清水谷子さん=大田区で

写真

 今月7日のTOKYO発「東京どんぶらこ」で大田区池上を取り上げたところ、読者の清水谷子さん(84)=神奈川県葉山町=から、1945年4月の空襲で日蓮宗大本山の池上本門寺が焼け、飛んでくる火の粉を一生懸命払ったという体験談が寄せられた。池上に住んで四半世紀近くになる記者が、清水さんと現地を歩いた。(瀬口晴義)

 「この辺りは本門寺の方まで松林が広がっていたのよ」。東急池上線池上駅前のバスターミナルの近くで、清水さんが教えてくれた。雨が降ると浸水する場所もあり、軒下に小さな舟をつるした商店もあったという。当時の面影はまったくない。

 清水さんは池上小学校(当時は国民学校)六年だった四四年九月、静岡県小笠村(当時)の寺に集団疎開した。六年生の女子と四年生の男子の計百二十数人。四五年二月に女子児童だけが先に東京に戻された。「残された男の子たちがわーわー泣きながら追い掛けてきたのよ」

 本門寺本堂なども焼失した空襲があったのは同年四月十五日夜から十六日の未明にかけて。「城南京浜大空襲」とも呼ばれる空襲には、米国の爆撃機B29が二百機以上飛来。八百人超の犠牲者が出て、七万戸が焼けたとされる。

 本門寺は五重塔など一部を除いてほぼ全焼した。火の粉は、境内にある樹木や松林を越えて清水さんの自宅の方まで飛んできた。「家に燃え移らないように防火用水の水をバケツリレーで運び、必死で消し止めました」。このときの空襲ではないが、墜落したB29の搭乗員の姿を見たこともあった。「鬼畜米英なんて教えられてたけど、鬼でもなんでもない人間でしたよ」

 今月十日、一緒に疎開した旧友八人が池上に集まった。疎開の思い出話に花が咲いた。年齢を考えると、最後の集まりになるかもしれない。

 清水さんは戦争の悲惨さを後世に残すため、自身の体験を基にした紙芝居をつくった。今も多くの人に見てもらっている。

 「私たちが子どものころは、押し付けられたうそしか知らされなかった。今の時代はニュースが多いけど、うそもいっぱいある。ニュースを選別する知恵を持ってほしいですね」

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報