東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 東京 > 記事一覧 > 11月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【東京】

<ひと ゆめ みらい> 「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」代表・塚本回子さん(76)

「桜が見たい」と言って亡くなった肥沼医師にちなみ、桜の花が刻まれた顕彰碑と塚本さん=八王子市で

写真

 「お帰りなさい Dr.肥沼」と刻まれた高さ一メートル九十の顕彰碑が、JR八王子駅北口西放射線ユーロードを三百五十メートルほど歩いて右手の中町公園の一角にある。八王子市出身で第二次世界大戦後のドイツ・ウリーツェン市で感染症治療に尽力した肥沼信次医師の功績をたたえる碑。代表を務める市民団体「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」が全国からの寄付で建て、市に寄贈した。中町公園は近くで肥沼医師の父が医院を開いていたゆかりの地。存命中に帰国がかなわなかった肥沼医師の魂を、温かく迎えようとの気持ちを込めた。

 肥沼医師のことは二〇〇五年二月ごろ、市内であった講演会で初めて知った。こんな偉大な人が八王子にいたのか。驚きと感動が込み上げた。市内でもほとんど知られていない。どんな人だろう。その年の十一月、当時かかわっていた国際交流のボランティア仲間たちと、ウリーツェン市を訪ねた。

 現地では名誉市民になるなど、尊敬の気持ちが受け継がれていた。招かれたお茶会では、高校生が「肥沼医師の故郷、八王子ってどんなところ?」と興味を示してくれた。

 帰国後、ウリーツェン市と交流を深めるため友好都市になるよう市に申し入れたが、なかなか進まなかった。何とか肥沼医師を広めたいと、一五年秋にボランティア仲間で会を発足、市に要望書を出した。内容は(1)肥沼医師を名誉市民に(2)顕彰碑を作る(3)ウリーツェン市と姉妹都市に−。多くの人に知ってもらう地道な講演活動も続けた。

 市制百周年の今年、状況は一気に進んだ。七月に八王子・ウリーツェン両市が友好交流協定を結ぶ。顕彰碑は九月に完成、十月には市が肥沼医師を特別顕彰した。三つの願いがかなった形だ。「市制百周年というタイミングと多くの市民の協力で、ここまでこられた」と感謝する。

 「誰かのために生きてこそ人生には価値がある」。尊敬するアインシュタインの言葉を体現した肥沼医師。ドイツ北東部の街での功績はベルリンの壁に阻まれ、長らく故郷の日本に伝わってこなかった。講演では、肥沼医師の功績や思いやりの気持ち、戦争の悲惨さや平和の大切さを訴え続ける。さらに肥沼基金をつくり両市の若者の草の根交流に活用するなど、さまざまな取り組みも検討している。「末永く語り継ぐため、これからが大事」と表情を引き締めた。 (萩原誠)

<Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会> 肥沼信次医師(こえぬま・のぶつぐ、1908〜46年)は日本医科大を卒業、放射線医学研究のため37年にドイツへ留学。第2次世界大戦後、同国ウリーツェン市で発疹チフスの治療に尽力したが、自らも感染して亡くなった。会は30人の市民でつくり、講演活動やイベントなどで肥沼医師の功績を広める活動をしている。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報