東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 東京 > 記事一覧 > 12月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【東京】

<東京人>聖地を歩く 特別な増上寺と寛永寺

1622(元和8)年に建立された増上寺三解脱門

写真

 江戸には、将軍家の崇敬を受け、広大な境域と多数の子院を有する特別な寺院が存在しました。代表格が増上寺、寛永寺、伝通院、東海寺、護国寺の五カ寺で、中でも増上寺と寛永寺は特別な地位が与えられていました。

 最初に徳川家と結び付いたのが浄土宗の増上寺です。徳川家康の入府と同時に徳川家の菩提寺(ぼだいじ)となり、江戸の南の要害の地・芝の高台に移転しました。増上寺の大殿(本堂)が東を向いているのは、本尊が阿弥陀如来だからです。阿弥陀如来は西方極楽浄土に存在するため、東から西を拝むのが自然なのです。

 上野の山には、増上寺と肩を並べる大寺・天台宗の寛永寺がありました。現在の上野恩賜公園と周辺は、寛永寺と子院の境域でした。寛永寺の本尊は薬師如来で、東照大権現(徳川家康の神号)の本地仏でもあります。薬師如来は東方浄瑠璃浄土に存在する如来で、「東を照らす」東照大権現と符合します。西方極楽浄土の阿弥陀如来が本尊の増上寺と、「対称」のような関係だとも言えます。

 寛永寺の根本中堂(本堂)は南西向きに建立され、堂内に安置された本尊の薬師如来は江戸城を向いていました。上野公園から南西方向を眺めると駿河台の明治大学の建物が見えますが、かつてはその延長線上に天守がそびえていたのです。比叡山延暦寺が平安京の鬼門鎮護を担ったように、東叡山寛永寺が江戸城の鬼門鎮護を担うことが可視化されていたのです。 (竹内正浩)

     ◇

 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部から、原則毎週日曜日に都内各地の情報をお届けします。

 詳しくは、「東京人」1月号30ページ「徳川将軍家 御城を囲む“江戸五山” 竹内正浩」で。

 【1月号主な内容】江戸の「聖」と「俗」 竹内誠▽座談会『聖地』は、どう生まれ、どう広がっていくか 泉麻人×加門七海×岡本亮輔▽アニメと巡礼 北村弥生▽鉄道と社寺参詣 平山昇▽ご利益神社おすすめ15選

 問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報